たかも知れぬ。
 然し事のおこる時は仕方のないものだ。
 この時のやす子の表情をすぐその場で二人にいわなかつたばかりに、私は何度藤枝と林田に怒られたことか。

      5

 やす子が部屋から出て行つてしまうと、藤枝と林田は向きあつてシガレットをふかしていたが暫く何も云わなかつた。
 突然口を切つたのは林田だつた。
「ところで僕は、ここのお嬢さんにもう一度会いたいのだが……君はどうするね」
「うん、僕は主人の所に行つて見る」
「主人は今どこにいるんだい」
「応接間に高橋警部と話しているよ。じや君はお嬢さんに会つて来給え。僕は主人に是非ききたいことがあるから」
 二人は立ち上つて部屋から出ようとした。
 ドアをあけると丁度その外にひろ子と駿太郎とが立つていた。
 私は駿太郎を読者に今まで詳しく紹介する機会をもたなかつたからちよつとここではつきり記しておこう。(十八日に私がこの家に来た時、この少年は家にいなかつた。あとできくと主人は、妻の変死事件を外に知らせたくないのと、学校を休むことはいかんというので、あの日、駿太郎はやはり学校に出ていたのだつた)
 彼は十五歳で、中学の二年生だが、白い豊頬に幾分紅をおびた上品な美少年である。この時はかすりの着物に兵児帯という活溌な姿だつた。
「おや、先生方ここにいらしつたのですか」
「ひろ子さん、あなたは?」
「あの……父の所にまいります。ちよつと用があるので」
「そうですか。そりやちようどいい、僕も今お父様にあいに行く所です。それに、あなたを前においてお父様にききたい事があるんですがよいでしようか」
 こう云つたのは藤枝だつた。
「はい、結構でございますとも。私もそうして頂きたいと思いまして」
 藤枝はひろ子と一緒に応接間の方に行きかかつた。
 すると林田が、
「さだ子さんはどこでしよう」
 とひろ子に訊ねた。
「さあ、私よく存じませんが、多分二階の自分のへやではないでしようか」
「じや私はさだ子さんに会つて来ます……駿太郎君、君も来るかい」
「僕はいやだ。僕ここで蓄音機をきくのさ」
「ほんとに困るんでございますよ。こんな時に蓄音機をやるなんて申すので。この人は毎日毎日レコードをかけてきいているのがすきなので、今日もどうしてもやりたいつて申しますの」
「だつてお姉様。毎日このごろ不愉快なことばかりで僕堪えられないんだもの。フューネラルマーチ(葬送行進曲)ならいいでしよう。今やつたつて」
「ほんとに仕方がないのね。じや竹針で内証でするんですよ。お父様に叱られるから」
 ひろ子は仕方がないと云つた顔で藤枝と共に応接間の方に去り、林田は階段の方に上り駿太郎少年はピヤノの部屋にはいつた。
 応接間にひろ子と藤枝と私がはいると、今まで何か話していた主人と警部が、急に口をつぐんでこちらを見た。
「お話最中ですか」
 藤枝がいう。
「いや、もうすんだのです」と警部。
「じや僕がちよつと御主人にお話したい。今日はひろ子さんに立ち会つてもらつて、そうしてお話を承りたいのです」
 藤枝の声音には何か厳としたものがあつた。
 駿三は明らかに驚いたらしいが、強いてその色をかくそうとしていた。
 一同が座につくとはじめて藤枝が切り出した。
「秋川さん。あなたは何故、私達に大切なことをかくしておられるのですか」

      6

「あなたは、非常に重大な問題を私にかくしておられる。私はひろ子さんから詳しくきいているのです」
 藤枝はこういうとじつと秋川駿三の顔を見つめた。
 ちようどこの時、私はピヤノの部屋からレコードが美しいメロディーを送り出したのを耳にした。極めて小さなピヤノの音であるがまさしくそれはショパンの葬送行進曲の最初の部分である。
「私はまず第一にあなたが何故脅迫状を受けてしかもそれをかくしているのかはつきり承りたい。第二に伊達正男という人物……」
「ありや決して怪しい者じやありませんよ」
「そりやそうでしようが……私はあの青年とあなた御自身との関係が承りたいのです」
 秋川駿三はこの時、この言葉をきいて愕然としたようだつたが、何も答えず黙つて藤枝の顔を見返した。
 藤枝も何も云わぬ。この時ちよつとした静寂がこの部屋をおおつた。レコードの音は、一層はつきりと伝つて来る。
「おいひろ子! 誰だ。こんな時にあんな音をさせるのは」
 突然駿三がひろ子にきく。
「駿ちやんよ。だつてどうしてもやると云つてきかないのですもの」
「駄目だよ。早くやめさせて来い。そして駿太郎をここへよんでおいで。ほんとに仕様のない奴だ」
 彼はほんとに怒つたのか、ただしは藤枝の詰問を一時でものがれるために怒つたふりをしたのだか、ともかくひろ子に烈しく云つたのであつた。
 大切な質問の所に来ているのでひろ子もこの場を去りにくいらしく
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