思わなけりやなりませんね。これはただ私の思いつきですが、あなたの部屋に誰か外の人がいたことはありませんか。またはあなたが外に出ているうちに、誰かがお部屋にいたというような事は。たとえば女中さんでも……」
 さだ子の顔には今度ははつきりと不思議な表情が浮んだが一瞬にしてすぐ消えた。
「……いいえ……」
 彼女は小さな声で答えた。
「それから?」
「夜十一時頃私はベッドに入りましたが、その前に母の部屋にまいりました。母は父がまだ起きているので、寝室にはおらず居間に一人横になつておりましたので、薬を封じた袋のまま渡し、ねる時におのみなさいと云つて先に寝室にはいつたのでございましたが、昨夜はいつこう眠くなかつたので、もつと起きているつもりでございましたけれど、これよりおそくなりますと父がやかましいので、いちおう寝室に入りました。でも眠くないので、トマス・ハーデイの小説をよんでおりましたが、いつのまにかうとうととしたとみえ、そのままベッドの上に眠つてしまいました」
「ではお母さんの寝室にはいられた時は知らぬのですね」
「はい、全く存じませんでした。それからどの位たつたか判りませんが、ふと目をさますと、私はハーデイの本に手をのせたまま、横になつておりましたが、なんとも云えぬうなり声が聞えるのです。はつと思つて起き上るとその声はたしかに母の寝室からきこえるではありませんか。私は驚いてドアをあけ、母の寝室の前にいつてお母様、お母様と叫びましたけれども、中からは苦しそうなうなり声がきこえるばかりで、一向に戸のあくようすもありませぬ、戸をわれるように叩きましたが駄目です。それで私は隣室にねている父の方の戸を割れるようにたたきますと、父は泥棒がはいつたとでも思いましたか、手にピストルをもちながら『誰だ、誰がやられた?』と云つてとび出してまいりました」
「ちよつと待つて! 誰がやられた?」
「はい、父も無論あわてたのでしよう。誰がやられた? と申して飛び出して来ました。それで私は母の部屋をさしますと、父もそのうなり声をきいたと見え、驚いて『どうした? 徳子』と叫んでおりましたが、そのうちねまきのままでさわぎをきいてかけつけた姉も一緒に力を合わせまして戸を破つてはいりますと、母が床の上に身をくねらして苦しんでおりました。
 父がいそいで抱きあげて介抱しましたが、もう唇の色が変つており、物も云
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