と思つたら、もう又旅行か。そりや仕方がない。じやともかく東京駅まで送つて行こう」
時計を見ると、彼の乗る下関行の発車まで三十分しかないので、すぐ自動車に乗つて私は彼と共に駅までかけつけた。
「ねえ、留守中が心配だね。また何かおこりやしないか」
「うん、わからない。僕はわれわれ法律家の無力をしみじみと感じるよ。ここに将来何か危険なことが起り得ることが判つている。しかし犯人に対して確証がない。こういう場合、われわれ法律家には将来に対してはただ手をつかねていることが正しい道として与えられているばかりだ」
改札口をはいりながら彼はこんなことを云つて、暗い顔をした。
彼が、二等車の中におさまつた時、私は彼の留守中の事が気になるので、
「ところでお嬢さんのおもりは又やるんだろうね」
「うん、やつてくれ給え。もつともひろ子には君はあえないかも知れんよ」
「え? 何故?」
「警部が彼女を疑つていることは今云つた通りだ。まさか拘留はしないかも知れないが、当分毎日よばれるだろうからね」
「何だ君! じや君はあんなに反対説をもつていながら、警部にそれを云わなかつたのかい」
「無論だよ。それどころか、大いに警部の説をほめてけしかけて来たよ」
9
一度でも美しい女性に恋をしたことのある――否、恋まで行かなくてもよい。好意をもつただけでも結構だ――そういう経験のある読者ならば、私が藤枝の言葉をきいて此の時どの位腹立たしく感じたかおそらく推察して下さるに違いない。
探偵小説に出て来る名探偵はシャーロック・ホームズでもフィロ・ヴァンスでもソーンダイクでもポワロでも、思わせ振りな言葉を時々出すばかりで最終の章まで自己のシーオリーを少しも云わないのが通例である。しかしそれは読者を最後まで引きつけておく一つの手段にすぎないのだ。
今、藤枝の場合はそうではない。彼の一言によつて我が愛する――読者よ、思わずはつきり自分の気持を云つてしまつた事を許されよ――あの美しいひろ子が恐ろしい殺人の嫌疑から免れる事ができる所なのではないか。藤枝は明日にも明後日にも可憐なひろ子が警察に引つぱられて残酷な取調べを受けるだろう事を予言している、いなあるいはそのまま警察にとめられるかも知れないのじやないか。
明らかに警察が誤つた疑いをもつているのを知りながら、それを指摘せず、反対にけしかけるとは!
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