て恐れておりますように思われるのでございます」
「生命の危険をですか」
藤枝がきいた。
「左様《そう》です。父はたしかに生命をおびやかされております。名誉や財産ではございません。はい、それはたしかでございます。そう考える理由が充分でございますの」
2
秋川嬢はつづけた。
「それをはつきり知つて頂くためには、父が昨年勤めを一切やめてしまつた頃からのお話を申し上げる必要があると存じます。元来、私の父と申す人は、余り強気の人ではございませんが、しかしともかく、秋川家に入りまして……あの御承知かどうか存じませんが父は養子でございますの……秋川家に入りましてから、事業も凡てに成功いたして今日までに至つた位でございますから、そんなに意気地のない性質ではありません。けれど私が幼少の時から父は大変神経質でございました。
それがこの数年になりましてから、だんだん神経衰弱のようになりまして、毎晩眠り薬をのまねばねむれぬという風になつてまいりましたのです。
医者にも診ては頂きましたが、格別にこれと申して、はつきりした原因はない。多分事業が余り劇《はげ》しすぎるからではないか、というような事でございました。
ところが、近頃はそれがだんだん劇しくなりまして、昨年の夏なんか、どうも眠れない夜が恐ろしいようすなのでございます。私もはじめは、いつもの神経衰弱がつのつたのだとばかり思つておりましたが、ある日、とうとうその原因らしいものを、発見してしまつたのでございます。
それは、たぶん昨年の八月の末ごろだつたと存じます。ある夕方、私は父の所に来た手紙の束をもつて父の書斎にまいつたのです。まだ父が帰りませんので、一人で何気なくその手紙をそろえておりますと、青い西洋封筒が一つ、床におちました。拾いとつて、ちよいと封じ目を見ますと、そこに赤い三角形の印《しるし》がおしてございます。珍しい印とは思いましたが、別に気にもとめずに、そのままそこにおいておきました。これにはさし出し人の名はありませんでした。
その夜、父はどうしたわけか夜中二階の寝室でおきていたらしく、あくる日、母が私にふしぎそうに語りましたが、父は、床にもつかず、何か考え、考えてはためいきをついていたそうです。母が何をきいても一さい父は云わなかつたそうでございます。
すると一月《ひとつき》ばかりたつてからのある夜、
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