ます」
秋川嬢ははつきりと答えた。
「一旦、先生を御信用申し上げてお訪ね致しました以上、決してかくし立てをしたり、嘘を申し上げたりは致しません。ただ私、心配なのは私が今日うかがいました用件と云うのが、少々漠然としたことすぎるような気が致しますの」
「漠然? はあ、そりやかまいません。どうかなんでも云つて下さいまし」
「実は今日うかがいましたのは私一個の問題ではございませんのです。それはあの御手紙で申し上げました通りでございます。私、実は父の事について心配な事がございますので、うかがいました次第なのです」
私は少々意外な気がした。これまで藤枝を訪ねて来た若い女性の問題は、たいていデリケートな恋の問題か恋人の行方《ゆくえ》に関してであつたので、私は秋川嬢もきつとこんな話をはじめると思つていたのである。
藤枝は、しかし少しも意外な顔をせずにじつと秋川嬢をながめている。
「私の父は、あのもしかしたら名前位きいていらつしやるかも知れませんが、秋川駿三と申しまして、先頃まで会社の社長をしておりました者でございます」
「先頃までですか。現には?」
これは藤枝がちよつとおどろいた調子できいた。
「昨年の十一月まで、秋川製紙株式会社の社長を勤めておりましたのです。それが昨年の末になつて急にその会社をやめ、その他一切の会社との関係を断つてしまいました。それで只今では無職というわけでございます。父はまだ四十五才になつたばかりでございますから、隠居をするにはまだ早いのでございますが、近頃大へんな神経衰弱にかかりまして、とても健康がつづかぬからというので、只今申し上げました通り、全く無職の人間となりました。家族は父の他、母徳子と、私が長女で、妹が二人ございます。すぐ次の妹が、さだ子と云つて今年十九才、次が初江と云つて十八才になります。それから弟が一人ございますが、駿太郎と申しまして、これは今年十五才になります」
秋川嬢はここまで一気にしやべつてちよつと口をとじた。藤枝は、無表情な顔で、あいかわらず紫の煙を空中にふいている。
「私が今日うかがつたのは、父についてでございます。父は最近、何かを大変おそれております。一言で申せば、何者かに非常におどかされている。今日にも殺されはせぬかと恐れているようなのでございます。そうです、たしかに父は生命をつけねらわれている、少くとも父自身はそう感じ
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