まだどっちも戻らないらしいので、彼女は一階上って、ルイ・メネルーの戸を叩いた。
 デュー夫人が娘の事をきくと、中から戸をあけたばかりのルイ・メネルーは落付いた声で、
「ルイズさんは今日は一度もここへは見えませんよ」
 と答えた。
 そこでデュー夫人は同じフローアの戸を片端からノックしてまわったが一軒も人が帰ってはいなかった。手を空《むなし》うしてこの母は下まで降りて改めて門番の所へ行って見ると此の日は門番の娘が母親の代りに勤めていたが、終日ルイズの姿を見なかったという答をしたのである。
 心配になって来たデュー夫人はそれから、リュー・ド・グルネルの家を戸毎に訪ねて廻ったけれどもルイズのようすは全くわからなかった。そこで彼女はとうとう警察に捜索を依頼して稍《やや》安心して帰った。というのは、巴里《パリ》で迷児になる者は一日に何人あるか判らないけれど二三時間も経てば必ず警察の手で発見されるのが例であったから。
 警察は、彼女に、午後八時に再び出頭するようにと命じて帰宅させた。
 午後八時にデュー夫人は命令通り再び警察に出頭したがその時、門番だの其他の人々が、メネルーの息子は平生子供らに「おあし」をやってはしきりに手なずけている、といっているという申立をやった。
 勿論この噂だけでは何の証拠にもならず、又それが事実としてもまだ何らメネルーに嫌疑をかけるべき直接証拠にならないので、警察では、まず、ルイズがメネルーの処にいるかどうか十分たしかめるようにとデュー夫人に注意した。
 そこでデュー夫人は帰宅するとメネルーに又ルイズの事をきいたけれども、依然として彼らは全くルイズをその日見た事はないという事を明かに答えたのである。
 そこでデュー夫人は又一階上って若いメネルーの部屋に行って戸をたたいた。
 息子のメネルーはもうベッドにはいっていたが、デュー夫人が戸を叩くと、中から、
「何しに来たんです。ルイズの事なんか知らないとさっきも云ったじゃありませんか」
 とつっけんどんに云ったが、彼女がしきりと戸を開けてくれというととうとう戸をあけたのでデュー夫人は、遠慮なく室内にはいって行ったけれども、メネルーの外は誰もそこにはいない。彼女はひざをついてベッドの下や何かを見たけれどやはりそこにも誰もかくれてはいなかった。
「さあ、もうこれで十分でしょう。気がすんだでしょう。さっさと帰って下さい。もう眠るんだから」
 若者はしずかに彼女に云った。
 しかし幼いルイズの消失はその夜一晩中、そのアパートのうち中の話題になった。いやその次の日もこの話がつづけられた。そのうちに、だんだんと妙な噂が伝りはじめた。
 どうもあのやくざ者の若者が怪しいというのだ。門番の女が、何でもかんでもあいつが怪しいというので、煙突掃除人夫が一人、すばやく屋根の上に上ってそっとメネルーの室を見る事にした。
 屋根から下りて来ると、人夫はいきなり、
「おい、メネルーの息子の奴、何かストーブでもやすので夢中になってやがるよ」
 という報告をもたらした。
 この時、ツーレという婦人が、
「そう云えば、どうも五階のメネルーの部屋から、ハンマーで肉を切るような音が聞こえていたよ」
 と云い出した。
 一同は何とも云えぬ不安におそわれはじめたのである。
 丁度此時、警察から刑事がやって来て、メネルーの戸を叩いた。はじめは中々応じなかったがとうとうしまいにメネルーは戸をひらいた。
 刑事の訊問に対して、彼は不相変《あいかわらず》何も知らぬの一てんばりで押通したが丁度その時、刑事の一人が、しきりに燃えているストーブの蓋をあけて中の物を引出してみると、それは血がついた肉塊であった。つづいて小児の内臓とおぼしきものが、半分くすぶりながら引ずり出されて来た。
 そこで直にメネルーの身体が捜索された。
 恐るべし! 彼の上衣のポケットの中から、小児の二本の腕が発見されたのであった。
 最後にストーブの中から首が出て来たが、棚その他にかくしてあった肉片をすっかり出して見ると、実にルイズの身体は三十五の部分に切りわけられていたのである。
 もはや何らの否認は許されなかった。
 犯人の自白は次のようなものだった。
「午後四時頃に、水をくみに出た所、ルイズに出会ったんです。そこで私はその子を、へやにさそいました。何かいい物をやると云ったのです。まもなくしきりに帰りたがりましたが、私は部屋から出しませんでした。とうとうルイズは泣き出しましたが、それから後の事ははっきりおぼえていません。ただ夢中でルイズの咽喉をしめて殺した事を思い出します。私の手でしめたのです。それからマットをとって之に身体をくるんで、ベッドの中につっこみ側に私も横になりました。しかしその夜中私は眠れませんでした。朝になって両親が出かけてしまうのを見すまし、台所に行って庖丁でまずその身体を二つに切りさきました。それからもっと細かくきざんで、ストーブで燃してしまうつもりだったのです。この仕事を私は便所の手洗の所ではじめました」
 この自白は全部が事実とは思われない。何故ならば、発見された肉片は全部をよせてもまだ、小児の身体を完成しなかったから。即ち四つのある特殊の器官がとうとう見出せなかったのである。
 九月八日、プラースラロケットでこの若者は死刑を執行された。
 彼も殺人狂の一人である。而も法律上の責任は負うべしと認められたわけである。

     三、ソレイラン事件

 ソレイランの事件もメネルーの事件と殆ど同じようであるが、此の事件の主人公は、仏国大統領の特別な仁慈により死刑を免れる事が出来たが、此の特別な仁慈は、輿論の反対を非常に惹起して大統領ファリエールは大に人気を失うに至った。
 一九〇七年一月三十一日リュー・サンモール七六番地に住んでいたエルベルディング夫人は、アルベール・ソレイランという二十六歳になる男と往来で偶然に出会った。此のソレイランという男は相当に有福な家の息子で、エルベルディングはそこの家に家政婦としてつかわれていた事があったのだった。
「私の妻がバタクランのコンセールに行くのですが如何です。お宅のマルテさんも一緒にいっては?」
 ソレイランはいきなりこう云ったのである。
 マルテというのは、エルベルディングの娘で当年とって十一歳であった。
 はじめは、エルベルディング夫人はこれを拒んだけれども、ソレイランはしきりとうながし、自分の妻も亦マルテもきっとよろこぶに違いない、と主張した。
 母親もよく考えて見ると、自分の娘をこの男に托す事を特に拒絶する理由が発見出来なかった。殊にソレイランの子供の時代からよく知っている彼女の事だ。安心してとうとうマルテを彼に托し、バルコニーから「オー、ルヴォアル」とよびかけて送り出してやったのであった。
 すると午後五時にアルベール・ソレイランが一人でエルベルディングの所にやって来て、マルテがもう帰って来たかと質問した。
 驚いて母親は云った。
「いいえまだ。だけど、どうしたんです」
「僕らはバタクランに行ってたんですよ。中々面白かった。がマルテがいつのまにか見えなくなっちまったんでね」
 之をきいて母親はさっそくバタクランにかけつけて見ると、丁度今終ったところで大勢の人々が出て来る処に出会した。
 母親は、直に、ソレイランが嘘をついているなと思って、引かえして彼を詰問したが、不相変《あいかわらず》、同じ事を彼は主張した。
 それから彼はエルベルディング夫人と一緒に交番に行ってマルテの失踪について語ったがそこでも、バタクランで彼女を見失ったという事をしきりと主張した。
 その夜、彼はひどく心配な表情をして、あわてている母親をたすけて一生懸命にマルテの行方を探しまわった。
 けれども翌日になって彼は警察で取調べられる事になった。
 その前日の午後彼はどこで時をすごしたかをはっきり答えなければならなくなった。
 彼のついたつまらぬ嘘が、非常に重大な嫌疑をもたらしはじめた。そこで彼の身の上について俄《にわか》に厳重な捜査が開始された。
 其結果、彼は結婚以前に、或る売春婦と同棲していてその女に養われていた事実、及びその女の妹を虐待した事実が判明、更に、詐欺罪に依って八ヶ月の懲役に処せられた事があるのが明かにされた。
 そこで三月三日、確たる証拠は未だなかったのであるが、ソレイランに対して逮捕状が発せられた。之は従前の軽い犯罪に対してのものだったと信ぜられる。
 ところが、その結果彼は逮捕されると、
「ああ、とうとうマルテの件がばれたか」
 と自白同様の一言を発してしまった。
 一人の証人は、一月三十一日午後二時頃、彼の従来の申立によれば此の時彼はマルテとバタクランに行っていた筈なのだが、その時ソレイランが自分の室の窓の所に、マルテと一所に居た、という事を証言した。於是《ここにおいて》、彼に対する嫌疑はいよいよ深くなり、さんざん言いこまれた末、とうとう彼もまま真実に近い自白をはじめた。
 即ち、彼はあの日自分の所に一旦マルテをつれて行ったのだが妻がいなかった。マルテはソレイランの妻と一所でなくてはコンセールに行かないと頑張って泣き出したので、無意識に[#「無意識に」に傍点]咽喉を手で押えると、いつの間にかマルテの息は絶えていた、というのだ。
 そこで、布で死体を包み、電車で東停車場まで運び、そこの手荷物預りの所に之を荷物として託したのであった。
 此の自白を確実にする為に、当局は直に東停車場の荷物を取調べたが、はたしてそこには、マルテ・エルベルディングの死体を包んだ灰色の包みが発見された。
 二日の後に、解剖が行われたがその結果は惨忍さに於いて到底彼の自白の如きものではない事が明かになった。
 頸のまわりには絞められた痕跡があったが胸部に十一センチの深さの切創があり、心臓は突刺されていた。
 事実は、彼はまずマルテに暴行を加え、次に之を絞め殺し、後、胸を突刺したのであった。
 取調中、彼は夢中でやった犯行であると強硬に主張した。そうして暴行の点については全くおぼえがないという申立をやった。
 暴行事件がここではからずももう一つあかるみに持出されたのである。
 一九〇一年三月、彼は、ジェリヤ・ブルマールという二十二歳になる婦人を襲った事がある。
 彼はその日彼女を自分の室にさそいこみ、それから急に乱暴をはじめて女を虐待し、ついにブルマールを床の上に仆して口から出血させるに至った。そうして最後に、彼女を脅迫しながらおそるべき行為に出でようとしたのである。
 ブルマールは、従うと見せて、相手の隙を見てほんとうに危い所で身を以って僅かに逃れた。
 マルテに対するソレイランの行為も丁度この事件と同じような性質をもっている。
 彼はマルテをまずナイフでおどかし、沈黙をまもって彼の暴力に従う事をせまったのである。然るにマルテが泣き叫んだので彼はあわてて絞殺したわけである。
 一九〇七年七月二日。重罪裁判所で彼の公判が開かれた。
 被告席に着いた彼の姿は一言で云えば、獰猛《どうもう》な鷲《わし》のような印象を人々に与えた。
 凡て犯罪の証拠があるにも不拘《かかわらず》、彼は、犯行の事実を全くおぼえがないと否認した。即ち無意識行為であるという主張をやった。
 彼が犯行後如何に冷静であったかという一つの証拠として、彼がマルテの死体を運んだ電車の車掌の言葉をここに記すと、
「私は、この男を食肉市場の助手だと思ったのです。それでそこにもっているのは牛肉かいときいたもんです。しかし被告は何も答えませんでした」
 検事総長ツルアルリオールは、特に殺人の情況以外に間接の情況が甚だ被告にとって不利なる事を指摘した。実にソレイランは被害者とは十年も前から知合であったのに、人情も何もなくこんな惨虐な事をやったのである。
「かくの如き恐るべき犯人は未だかつて被告席にあらわれたる事なし」
 検事総長はこう結んだ。
 死刑の判決が言渡された。
 その瞬間であった。突如法廷の一角から、絹をさくような声がきこえた。
「人非人め、私
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