しなかったけれど、彼の戯曲はこの頃ではただ発表されるにしか過ぎなくなった。しかるに米倉の諸作は、出づるごとに次から次へと脚光を浴びて行った。そうして、大川にとって最も痛ましかったことは、最初彼を文壇に送り出したある大家が、米倉三造を、大川以上のものとして折紙をつけたことであった。
 もしこの事実が、大川の元気一杯の時に起ったとしたなら、決して彼は驚かなかったであろう。しかし、ある限りの精力を出し切ってしまった彼が、いま目の前に米倉の異常な、大川のそれにもました出世ぶりを見ていなければならぬということは、たしかに痛ましいことだったにちがいない。
 というわけは、大川竜太郎と米倉三造とは恐らく永久に手を握りあうことのできぬ仇敵《かたき》同士であったからである。
 彼等はその処女作を世に出す前において、すでに、競争者であった。おたがいに非常に神経質で頑固で、そうして嫉妬心を十分にもちあっていた彼等は、名をなす前に、心から愛しあうよりはむしろ、心から憎みあっていた。
「いまにみろ。」
 という考えをおたがいにもっていた。そうしてその気持の上に二人は精進した。
 けれども、この二人を決定的に仇敵
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