、諸新聞は大川の知己である文壇の諸名家の推測を、列挙して掲載したことは云うまでもない。
 文士であるにもかかわらず、一片の遺書も残さぬというところから、恐らくその自殺は発作的のものではないかと憶測したものもあった。しかし大川が数日前から劇薬を手に入れていた事実、および彼がそれとなく薬物に関して他人に質問をした事実によって、その考えがまったく空想に過ぎぬことが明かとなった。したがって文壇の諸家はおのおの自己の信ずる考えを述べたてたのであった。しかし、少くも二つの原因らしきもののあったことは、誰しも認めないわけにはいかなかった。
 その一つは、大川竜太郎一個人の芸術家としての問題であり、他はまったくこれと異るが同時に非常に有力らしく見えるところの、約半年ほど前に彼の家において行われた有名な悲劇である。
 三十歳に達せずして一代の盛名をはせた戯曲家大川竜太郎は、しかし、三十歳に達せずしてその芸術の絶頂に達したのかと思われた。
 彼が三十の時、盛名はなおいぜんとして衰えなかったにもかかわらず、ある人々はすでにその作品の中に彼の疲労を発見した。彼が三十一の年その作の中には芸術家としての行き詰りが
前へ 次へ
全44ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
浜尾 四郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング