僕が外国にいた友から贈られたピストルを取り出して、弾丸《たま》を調べはじめたのだ。
山本、君は人を殺すということがいかに難しいことか、少しでも考えてみたことがあるか。あらかじめ計って人殺しをするということは悪魔でない限りできるものではない。僕はあの夜あれだけの決心を堅め――おまけにその決心までくるのに二年余もかかったんだが、その深みある決心にもかかわらず、僕がピストルを手にとった時、すでにその決心がにぶりはじめたのだ。
今でなくてもいい。あしただっていい。こう考えて僕はピストルをおいた。そうしてしばらく悶《もだ》えたが、やはりピストルを手にとることができず、それを枕元においたまま床に入ってしまったんだ。
非常に亢奮した後には非常な疲労がくる。夜半の一時頃に僕はすっかり疲れ切って眠入《ねい》ってしまった。どのくらい眠入ったかおぼえはないが、不意にささやきのような声がきこえる。なかば起き上った時、隣室から明かに男の声がきこえた。
僕は全身の血が一時に燃え上るように感じて、いきなり枕元のピストルをとると、できるだけひそかに襖《ふすま》の端をあけてみた。
いくらあわてていたとは云え、蓉子がどんな女であろうと、夫のねている隣室に男を入れるはずのあるものでないくらいのことは、すぐに考え浮ぶべきなのだが、実際その時の僕は怒りに燃えていたのだった。
しかし、さすがに、襖を開けて隣室をのぞいたとたん、僕はあっと危く叫ぶところであった。
蓉子の枕元にはスタンドがおいてあって彼女がねつく時一燭光にしておく習慣だったので、その光でおぼろに不思議な光景が目に入ったのだ。なかばねぼけたような蓉子が、半身を床の上に出そうとしている。その夜具の上に半分覆面した大男が出刃庖丁をつき出しながら、小さい声で何か云っているのだ。
僕はすぐ強盗だなと感じた。いくら僕でも毎日の新聞で近頃の物騒さはよく知っている。すぐに飛び込んでやろうと身構えした時、男が不意に右手の出刃庖丁をつき出すと同時に『静かにしろ。早く金を出せ。』
というのが聞えた。それに対する蓉子の態度を、僕は実に不思議なように感じたのだ。あんなに平生しっかりしていて、どんなことをも恐れない蓉子が、まるで気を失ったように恐怖の色を現わしているのだ。僕がどんなことをしたって、たとえ彼女を殺しにかかったところで彼女は敢然と首を伸したであろう。それがどうだ、その男に金を出せといわれると魂がぬけた人のように真青になってぶるぶる慄えはじめたんだ。
スタンドの電気が、僕のいる方にきていないのを幸、僕は黙ってこの不思議な有様をながめていた。すると賊はまたまた押えるような声だ。
『早くしろ! しないとこうだぞ!』といってやにわに右手の出刃をひらめかした。
僕が思わずあっと叫ぼうとする前に、早くも蓉子は絹をさくような悲鳴をあげた。すると賊は非常に狼狽したさまを現わしたが、いきなり蓉子にとびかかって首をしめつけたんだ!」
不意に山本が訊ねた。
「出刃庖丁は? 出刃庖丁を使わなかったのか。」
「出刃か? うん、それを投げ出していきなりとびかかったんだ。ところがそれを見た僕は驚くべき程落つきはじめたんだ。その時僕の頭に、突然、恐ろしい考えが浮んだんだ。蓉子は今殺されかかっている。その蓉子を、数時間前にはこの俺が殺そうとしたのじゃないか。よし。僕が手を下す必要はない。時は今だ。賊をして決行せしめよ! 責任は賊に行く。よし、自分の空想した殺人行為が、今眼前で遂行さるるのを見よ!
僕は鐘のように打つ心臓の鼓動をおさえつけながら、ピストルを握りつめてその有様を見つづけたのだ。
蓉子は何か叫ぼうとした。そうして顔をあげた。僕はその時の蓉子の顔を決して忘れない。充血した顔の色、無理に開いた眼、ひっつれた唇、そうして痙攣《けいれん》してふるえながらも、猛獣のような男の両腕にからみついたその二つの手!
この抵抗にあった賊は野獣のようになって両腕にいっそう力を入れるかと思うと蓉子はいきなり後に仆《たお》れつづいて折重なって賊もその上に乗りかかった。彼は素早く顔から布をとってもう息が止っているらしい蓉子の口におしこもうとしている。
恐ろしい地獄のような数秒間だった。しかし同時に何というすばらしい数秒間だったろう。僕は心に願ったことが今立派に行われたのを見たのだ!
『今だ、今こそ逃してはいけない。』
僕はそう思って襖をあけるや否や、脱兎のごとく賊の傍に行った。彼がまだすっかり起き上れないうちにいきなり第一発をその右胸に撃ち込んだ。ひるむところをその右額めがけて第二発を発射したのだ。むろんやり損《そこな》うはずはない。賊は立ちどころに即死してしまった。泣き叫ぶ久子、この呪うべき久子をそこに転がしたまま僕は表に飛び出した。そう
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