か。もっと延ばしておいていいだろうか。」
「そうだね、それは君の勝手だ。しかし、するなら今しても差支えないね。」山本は額の汗を拭《ぬぐ》いながら答えた。
「ありがとう。君の云うことは決定的だ、僕にははっきり判る。僕は自殺を仕損じてから今まで、遺言を君にきかせたいために、きいて貰いたいために生きていたのだ。そうして君からききたいことがあるために生きていたんだ。」
「よし、聞こう。云い給え。しかし疲れないように話し給え。君の生命は、それを云い終らぬうちになくなるかもしれない場合なのだ。」
 大川が今度は黙った。
 沈黙がしばらくつづく。部屋はもう闇になりかかっているのに、山本は電気のスイッチをひねるのを忘れていた。
「君は、僕がなぜ自殺をしようと計ったか、そのほんとうのわけを知っているか。……僕はこの数ヶ月、毎晩死んだ妻の亡霊に悩まされつづけていたんだ。」
「あんなに愛しあっていたんだからなあ……」
「いや、そういう意味ではない。殺された妻の死霊に呪《のろ》われつづけたのだ。」
「どうして?」
「どうして? では君もやはり、世間と同じことを信じているのか。山本。僕は何度妻を殺そうと思ったかしれないんだ。そうしてあの恐ろしい夜のあのできごとは、たとえ僕が自分で手を下したのではないと云え、僕に十分の責任があるんだ。山本、僕は強盗に妻を殺さしたのだよ。僕は僕の妻が強盗に殺されるまで、黙って見ていたんだよ……」
「大川、俺には君の云うことが信じられない……」
「だろう。そうだろう。しかしほんとなんだ。僕はすべてに敗れたんだ。仕事の上でも、恋愛の上でも! 僕は君が今なお独身でいることを祝福する。僕は結婚というものがあんな恐ろしいものとは、想像もしていなかった。僕と蓉子とは結婚した。だから僕は敗れたんだ。もしあの時、米倉と蓉子と結婚していてみろ。恐らくは僕が勝ったに違いないんだ。
 僕は初め勝ったと思った。少くも恋の上では! 勝って蓉子を完全に得たと信じた。そう信じて半年程幸福に暮した。しかしその幸福は六ヶ月程経った時、永久に失われてしまったのだ。僕は蓉子を完全に得ているかどうかということを疑いはじめた。そう思った時、すでに僕は幸福というものはなくなってしまったんだ。蓉子も初めは僕を愛した。しかし、はたして蓉子は人間としての僕を愛していたのだろうか。
 米倉の盛名が輝くにつれ、蓉子
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