妻の里にあずけ、家をたたんで、全然一人となって、この病院に程近きアパートメントに入ったのであった。
 さなきだに作品を産出できなかった天才大川は、仇敵《かたき》米倉三造の盛名日に日にあがるのを見つつ、こうやって惨劇以来の半年を送って来たのであった。
 この惨劇が大川竜太郎のこのたびの劇薬自殺事件に関係なしと誰が云えよう。

 さて話はふたたび黄昏の病室に戻る。
 室はおいおいと暗くなってゆく。
 墓場のような静寂は突如大川によって、ふたたび破られた。
「山本、山本……」
「何だ、大川、え?」救われたように山本が答えた。
「君一人か、この部屋は。」
「ああ、今云った通りだ、誰もいない。」
「山本、君は永い間僕の親友でもあり、また医者でもあってくれた。僕あ、深く感謝するよ。」
「…………」
「それでね、僕は今、僕の医者としての君と、親友としての君にききたいことがあるんだが……君、はっきり云ってくれるだろうね。」
「どういう意味だい、それは。」
「つまり僕は一生を賭けた問を君に二つ出したいんだ。その一つには医者としてはっきり答えて貰いたい。それからも一つのには親友としてはっきり答えて貰いたいんだ。」
「うん、できるだけそうするようにしよう。なんでも云って見給え。」
 横たわれる大川の顔色には、犯し難き厳粛な色が現れていた。佇《たたず》める山本の額《ひたい》には汗が浮き出している。彼は大川がどんな問を発するか、片唾《かたず》をのんで待ち構えた。
「医者として答えてくれ給え。僕は助かりはしないだろうね。とても。もう今にも死ぬかもしれないんじゃないか?」
「…………」
「いや、僕の聞き方が悪かったかもしれない。医者なるが故に、君はそれに答えられぬのかもしれない。それなら親友として云ってくれないか。僕はとても助からないんだろう?」
「ああ、決して安心してはいけない状態なんだ。いつ危険が来るかもわからない場合なんだ。しかし、こんな状態で回復した例はいくらでもある。だから絶望とは云えない。」
「ありがとう。けれど君は誤解している。僕は生きようと望んではいないんだ。死ぬなんてことは案外楽なものだぞ。生きよう生きようと努力するからこそ、回復する場合もあるだろう。しかし僕は生きようとは思っていない。だから回復することはない。もう一度ききたい。もし僕が遺言をするとすれば、今するのが適当だろう
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