確かな議論とは本質的に異なるが、といってマルクス、レーニンの学説の公式的適用ほどマルクス、レーニンの学説に反したやり方はない。
 レーニンも言っているように、理論は灰色であるが、実践は緑色である。もしわれわれにして、理論を理論として、すなわち単なる知識として覚えるにすぎないならば、それはかえってわれわれの行動を束縛する邪魔物とさえなるであろう。しかしながら、革命的[#「革命的」に「×」の傍記]理論なくして革命[#「革命」に「×」の傍記]運動はあり得ない。革命[#「革命」に「×」の傍記]的理論によって武装された頭部、マルクス、レーニンの理論によって変革された頭脳の正しい指導によって初めて、大衆運動の自然発生的な革命的[#「革命的」に「×」の傍記]高揚性は正しく組織化され、発展せしめられて偉大なる革命[#「革命」に「×」の傍記]を成就することになるのである。
 われわれがマルクス、レーニンの学説を研究するのは、マルクス、レーニンの片言隻句《へんげんせっく》を暗記したり、その理論を公式的に鵜呑みにすることではない。いわんやお偉いマルクス学者諸氏やいわゆるマルクス批評家諸公のように物識りになっ
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