螢の燈台
野口雨情
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)傘《からかさ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)河原|鶸《ひわ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「石+隣のつくり」、第3水準1−89−14]
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著者より[#「著者より」は大見出し]
童謡は、童心から生れる言葉の音楽であります。童心から生れる言葉の音楽が、芸術的価値があつたならば、童謡と言ふことが出来ます。
又、童謡は、童心から発した自然詩であると言ふことも出来ます。童心から発した自然詩は、純真不※[#「石+隣のつくり」、第3水準1−89−14]の芸術であります。純真不※[#「石+隣のつくり」、第3水準1−89−14]の芸術が歌謡であつたとき童謡となるのであります。
童謡は、童心より生発する言葉の音楽であり、自然詩でありますから、表現は単純化されてをります。単純化とは、複雑の究極であつて、作品の芸術価値(殊に童謡に)は、単純化か否かによつてわかるることが多いのであります。
初学のうちは、言はんとする内容の説明に急であつて、ややもすれば平面的描写に陥りやすいですが、かうしたことは、その作者に芸術眼さへあれば、練習によつて自覚的にすくはるる日が来るのであります。
単純化された表現の作品をみて、幼稚なもの、つまらないものと思ふのは、童心の欠けた人に多いのであります。カントの言はれた永遠の児童性とは、既成知識を超越した無垢の世界であつて、幼稚と思はれ、つまらないと思はれるものの中に童謡のやどりもあるのであります。
自然に直面し、自然と握手することの出来る心は、永遠の児童性であり、童心であります。童謡は童心より生発する芸術でありますから、意識的に作られることは、童謡の本質ではありません。
童謡は、飽まで歌謡のすがたを備へた童心芸術であります。
かう考へてみたとき、本書の作品があまりに不用意であることを思ふのであります。しかし本書は、小著『青い眼の人形』以後の作品を一巻としたのであるから、自分としては、不用意の作品であつても、習作上の道程として、他日の参考にもと思つてをります。
[#地付き](東京郊外武蔵野村童心居にてしるす)
[#改ページ]
[#1字下げ]よいよい横町[#「よいよい横町」は大見出し]
よいよい横町で
見た月は 見た月は
半分かけてた
朝の月 アノ朝の月
お空にぼんやり
出た月は 出た月は
夢みて寝ぼけた
昼の月 アノ昼の月
兎がお餅を
搗く月は 搗く月は
十五夜お月で
丸い月 アノ丸い月
[#1字下げ]雨降りお月さん[#「雨降りお月さん」は大見出し]
[#2字下げ]一[#「一」は中見出し]
雨降りお月さん
雲の蔭
お嫁にゆくときや
誰とゆく
ひとりで傘《からかさ》
さしてゆく
傘ないときや
誰とゆく
シヤラ シヤラ シヤン シヤン
鈴つけた
お馬にゆられて
濡れてゆく
[#2字下げ]二[#「二」は中見出し]
いそがにやお馬よ
夜《よ》が明ける
手綱の下から
ちよいと見たりや
お袖でお顔を
隠してる
お袖は濡れても
干しや乾く
雨降りお月さん
雲の蔭
お馬にゆられて
ぬれてゆく
[#1字下げ]梅の小枝[#「梅の小枝」は大見出し]
ホーや ホケキヨや 鶯や
鶯さんなら 梅に来な
夜はお空の お星さんも
梅の小枝で チラ チラリ
チラ チーラリ チラ チラリ
鶯さんなら 梅に来な
夜はお空の お星さんも
梅の小枝に 来てとまる
[#1字下げ]俵はごろごろ[#「俵はごろごろ」は大見出し]
俵は ごろごろ
お蔵にどつさりこ
お米はざつくりこで
チユチユ鼠はにつこりこ
お星さまぴつかりこ
夜のお空でぴつかりこ
[#1字下げ]田甫の鳥追ひ[#「田甫の鳥追ひ」は大見出し]
田甫《たんぼ》の鳥追ひ
ホーイ ホイ
雀に追はれて
チッチッチ
あつちの田甫へ
チッチッチ
こつちの田甫へ
チッチッチ
あつちの田甫も
ホーイ ホイ
こつちの田甫も
ホーイ ホイ
ホーイ ホイホイ
ホーイ ホイ
雀に追はれて
チッチッチ
[#1字下げ]兎が来い[#「兎が来い」は大見出し]
山から来い
兎が来い
月夜になるから
山道来い
いそいで来い
里見て来い
お山の兎が
みんなで来い
遊びに来い
はねはね来い
お餅を搗《つ》くから
お庭へ来い
[#1字下げ]狐の提灯[#「狐の提灯」は大見出し]
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