都会と田園
野口雨情
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)光波《なみ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)米|磨《と》ぐ
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#ローマ数字1、1−13−21]
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[#ページの左右中央]
[#1字下げ]序詩[#「序詩」は大見出し]
[#ここから2字下げ]
空の上に、雲雀は唄を唄つてゐる
渦を巻いてゐる太陽の
光波《なみ》にまかれて
唄つてゐる――
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
[#1字下げ]時雨唄[#「時雨唄」は大見出し]
雨降りお月さん
暈《かさ》下され
傘《からかさ》さしたい
死んだ母《かか》さん、後母《あとかか》さん
時雨の降るのに
下駄下され
跣足《はだし》で米|磨《と》ぐ
死んだ母さん、後母さん
柄杓《ひしやく》にざぶざぶ
水下され
釣瓶が[#「釣瓶が」は底本では「鈞瓶が」]重くてあがらない
死んだ母さん、後母さん
親孝行するから
足袋下され
足が凍えて歩けない
死んだ母さん、後母さん
奉公にゆきたい
味噌下され
咽喉《のど》に御飯が通らない
死んだ母さん、後母さん
[#1字下げ]曲り角[#「曲り角」は大見出し]
銀行員のFさんは
新しい背広を着て――大足に出ていつた
黒いソフト、光る靴
暖い日の
午前九時頃
曲り角でバツタリ
A子さんと行き逢つた
(オヤ! オヤ!)
すらりとした――
桃割れ、白い歯
Fさんの顔
A子さんの眼
(オヤ! オヤ!)
二人はすれ違ふ
胸の動悸
[#1字下げ]柿の木のエピソード[#「柿の木のエピソード」は大見出し]
背戸の畑の柿が赤くなつて来ると毎日烏が集つて来て喰つてゐた
子供に番をさせて置いても
烏は毎日来た
親父は洗濯竿の先へ
鶏の羽根をぶら下げて
柿の木の傍へ
立てて置いた
鶏の羽根が
ふわふわ動いてゐる
烏は遠くから見てゐて
来なかつた
時折、別な烏が来ても
鶏の羽根が動くとすぐに飛んでゆく
親父も子供も
安心して喜んでゐた
一晩風が吹いた
朝の暗い内から柿の木で烏が鳴いてゐた
洗濯竿が畑の中に倒れてゐる
子供は駈けて来て親父に咄《はな》した
[#1字下げ]曼陀羅華[#「曼陀羅華」は大見出し]
何処から種が飛んで来たのか
畑の中に
曼陀羅華《まんだらげ》が生えてゐる
百姓は
抜いて捨てようと思つてゐる中に
夏が来た
曼陀羅華は
葉と葉の間《あはひ》から
白い花を咲かうとしてゐる
百姓は
花なんか咲かせて置くもんかと
独言《ひとりごと》を云つてゐた
たうとう秋になつて了つた
曼陀羅華の花は
すつかり実になつてゐる
百姓は憤つて――手をかけると
皆んな実は畑の中へ
ぱらぱらはぢけて飛んだ
[#1字下げ]二人[#「二人」は大見出し]
歳の暮れも押し迫つて来てゐるのに
間借りしてゐる二人は
これからさき、どうすればいいのか
途方にくれてゐる
二人は
小さな火鉢を中にして
痛切に――お互に――暮しませうと云つてゐるが
矢張り涙にくれてゐる
二人は
昨夜《ゆふべ》も、同じやうな夢を見た
銀貨だの、米だの、肉だの、炭だの
凩《こがらし》は屋根を鳴らして吹いてゐる
[#1字下げ]家鴨[#「家鴨」は大見出し]
うしろの田の中に家鴨の子が
田螺《たにし》を拾つて喰つてゐると
雁《がん》が来た
一所に連れてつてやるから
勢一杯|翼《はね》をひろげて飛んで見ろと
雁が云つた
家鴨の子は一生懸命飛んで見たが
体が重くてぼたりぼたり落ちて了ふ
雁は笑ひ笑ひ飛んで行つて了つた
家鴨の子は泣き泣き小舎《こや》の前に帰つて来た
親家鴨は
桶の中へ首を入れて水を呑んでゐた
子家鴨は
別な良《い》い翼をつけて呉れろと
大声で泣いてゐる
親家鴨は仕様なしに
そつちの方を向いて
聞えぬ振りをしてゐた
[#1字下げ]深淵[#「深淵」は大見出し]
ヨーイトマーケ
ヨーイトマイタ――と深川の道路ツ端《ばた》に
印袢纒《しるしはんてん》を着た
女の声が唄つてゐる
砂塵を捲いてタクシーは
轣き殺すほどの勢ひに――人々はどやどやと
街路樹の下に
右に左に避《よ》けてゐる
下町の深淵の中に沈んでゐる
力のぬけた、だるい顔
ガソリンのむかつく臭気《にほひ》嗅ぎながら
女の声は唄つてゐる
灰色の中に住んでゐる LABORER の――声は次第に疲れてゐた――印袢纒の女の声は疲れてゐた
冬の日は
一間《いつけん》ばかり残つてゐる
[#1字下げ]生姜畑[#「生姜畑」は大見出し]
枯れ山の芒ア穂に出てちらつくが
帯に襷にどつちにつかず
赤い畑の唐辛《たうがらし》
石を投げたら二つに割れた
石は磧《かはら》で
光つてる
安《やす》が嬶《かかあ》の連ツ子は
しよなりしよなりと
もう光る
生姜畑の闇の晩
背戸へ出て来て
光つてる
[#1字下げ]酒場の前[#「酒場の前」は大見出し]
特殊部落の――若い娘のお喜乃《きの》
少《ちつ》とも人ずれしないほんたうに美《い》い綺縹のお喜乃
先刻《さつき》からぼんやり、酒場の前に立つてゐる
お喜乃よ
もう晩方だ、家《うち》へ帰つたら良《い》いではないか
酒場の暖簾《のれん》から年配の男が首を出して云つた
アイ、帰るよ、だがな伯父さん
権さん今日は来なかつたか
年配の男は権と同じ工場の古参《ふるひ》職工だ
黄昏《たそがれ》の風に吹かれて職工の群は帰つてゆく。
権か、来ない、来ない
ありやあなア、お喜乃よ、権はもう大坂[#「大坂」に「(ママ)」の注記]へ帰るんぢや
知らん、知らん、そなことない
伯父さん、お前嘘だらう
お喜乃は暖簾の傍へ寄つて来た
おぬしに、嘘云つてどうする
お喜乃よ、権はなア、工場から暇が出たんだ
お喜乃はすり寄つて年配の男の顔を見凝《みつ》めた
伯父さん、そりやアほんたうか
年配の男は黙つてお喜乃の顔を見てゐる。
酒場の中からどんたりどんたり話声が聞えて来る
空樽《たる》に腰を掛けて冷酒《ひや》をあふつてゐた
目の苦茶苦茶した浅黄服を着た男が
微酔《ほろゑひ》機嫌で酒場の中から出て来た
オ、お喜乃か、ウム、美い綺縹だな
オイ兄え(年配の男に)己《おら》ア一足先き帰《けへ》るよ
千鳥足で行つて了つた
ホ、権が来だ!
年配の男は、向ふを見ながらお喜乃に顋《あご》でしやくつた
権はひよつこり酒場の前にやつて来た
お喜乃は駈け寄つて権の手を握つた
権さん
お前どうした、工場から暇が出たのか
お喜乃は悲しさうに権の顔を眺めてゐる
権もお喜乃の顔を眺めてゐる
お喜乃の目からはらはらと涙が零《こぼ》れた
権さん、工場やめてどうする
嘘だ、嘘だ
お前大坂へ帰へつちやンだらう
お喜乃はほろほろ声になつてゐる
夕焼の空は一面に赤く燃え立つてゐた
権は何んにも云はずに下を向いて立つてゐる
権さん、お前、大坂へ帰るなら
わたしも、一所に連れてつてお呉れな
又してもお喜乃の声は顫えてゐる
お喜乃は夕方になると赤い花|簪《かんざし》をさして、酒場の前に立つてゐたが
権はそれつきり遂ひぞ酒場に来なかつた
[#1字下げ]忠義の犬[#「忠義の犬」は大見出し]
日比谷公園の
広ツ場に
編みあげの赤い靴を穿き
祖母《おばあ》さんに連れられて
美晴子《みはるこ》さんが遊んでる
浅い弱い春の日は
鏡のやうに晴れてゐた
中学生が五六人
テニスネツトを引つ張つて
組に分れて遊んでる
軽くボールはぽんぽんと
向ふにこつちに飛んでゐた
祖母さんは、遠くの方へ退《ひ》つ去つて
腰をかがめて見せてゐる
テニスコートの
向ふから
足の太い、毛の長い
強さうな
犬がさつさと歩《や》つて来た
美晴子さんは、活動の『忠義の犬』を思ひ出し
丸い目をして見て居つた
あの犬も忠義の犬になるか知ら
同じやうに耳も垂れてゐるし
口も大きいし――
美晴子さんは
目をはなさずに眺めてゐる
中学生のラケツトが何《ど》んな途端《はづみ》かぐんと来て
犬の後《うしろ》に落つこちた
犬は走つてラケツトを
口に銜《くは》へて立つてゐる
美晴子さんは
小さな声で祖母さんに
『忠義の犬』の話をした
[#1字下げ]小さな出来事[#「小さな出来事」は大見出し]
足の短い狛犬《こまいぬ》はポチに噛ませてやりませう
糸のたるんだ風船と空気のぬけた護謨毬《ごむまり》はタマに噛ませてやりませう
弾機《ばね》の廻らぬ自働車[#「自働車」に「(ママ)」の注記]は銑葉《ぶりき》の台へ載せたまま馬車に轣かせてやりませう
翼《はね》のゆがんだ木兎《みみづく》は牛に踏ませてやりませうか、馬に踏ませてやりませうか、うしろの沼へ捨てませうか
飛べなくなつた飛行機と共に窓から投げませう
硝子《がらす》の中の人形も明日《あす》はお暇《いとま》やりませう
何《ど》つかの島へ着くやうに
島の人形になるやうに
桐の小函に帆をかけて――大川の水に流してやりませう
[#1字下げ]蝙蝠[#「蝙蝠」は大見出し]
蝙蝠《かうもり》よ、蝙蝠よ
井戸端に蚊柱が立つてゐる
早く来て喰はないか
蝙蝠の家は何処だ
山か里か
何故|咄《はな》さぬ
蚊柱が立たば
迎ひに行くぞ
すぐに来て喰へよ
呼んでも、呼んでも
蝙蝠は居ない
臍をまげて隠れてゐる
臍をまげた蝙蝠に
蚊柱は喰はせるな
早くバケツで水かけろ
螢の親父が飛んでゐる
蚊柱が立つても
蝙蝠に咄すな
呼んでも呼んでも来ない
蝙蝠が来たなら
跣足《はだし》になつて追つ蒐《か》けろ
[#1字下げ]縁側[#「縁側」は大見出し]
彼はお針をしてゐる妻君に
爪の伸びた手を出して
鋏を借せと云つた
鋏は妻君の膝のあたりにある
若い妻君は
彼の手を眺めるやうに見て
笑ひながら
鋏をとつて渡した
彼は日の当つてゐる縁側に胡座《あぐら》をかいて
パチリパチリ切り初めた
爪は遠くまで飛んで
皆んな庭の上に落ちる
妻君はそーつと彼の後《うしろ》に来て
顔を覘いてゐた
彼は爪の奇麗になつた手を出して見せた
若い妻君は黙つて立つて笑つてゐる
[#1字下げ]わしの隣人[#「わしの隣人」は大見出し]
[#2字下げ]彦兵衛[#「彦兵衛」は中見出し]
彦兵衛が、家の前の畑に
蘿蔔《だいこん》の種を蒔いてゐると
郵便配達が来た
彦兵衛は汚れた手で
葉書を受け取つて眺めてゐる
配達は行つて了つた
電車の車掌に及第した
東京の忰からの葉書だ
彦兵衛の顔はにこにこした
囲爐裡《いろり》の中に
麦鍋が
泡《あぶく》立つて煮え零《こぼ》れてる
[#2字下げ]お霜[#「お霜」は中見出し]
お霜が畠に馬鈴薯《じやがたらいも》を掘つてゐると
馬を牽いた男が
弄戯《からか》つて通つてゆく
お霜が土手に足を出して休んでゐると
前《さき》の男が馬を牽いて帰つて来た
また弄戯つて通つてゆく
お霜がもう帰らうとすると
藪の中に
男は首を出してゐた
[#2字下げ]留さん[#「留さん」は中見出し]
東京で流行《はや》る――サイノロジーと云ふ
田舎にはない新言葉
西洋の煙草の名でもあるか知らと
留さんは思つてゐた
留さんが田うなひに出て行つた後《あと》で
頬の赤い嬶《かかあ》が長々と昼寝をしてゐる
ボーリン衝きの若い監督は
サイノロジーと云つて笑つて行く
留さんは解《げ》せずで解せずで堪らない
その晩、夕飯を喰ひながら嬶に咄した
嬶は飴菓子を噛りながら
これも解せずで――首を抂《ま》げた
[#2字下げ]お艶[#「お艶」は中見出し]
お艶《つや》が風呂にはいつてゐると
若い男が
だましに来た
小さな声でだましてゐる
お艶がざぶり湯をかけてやると
男はうろうろしてゐたが
裏から
すーつと逃げて行つた
馬は厩《うまや》に
馬堰棒《ませんぼ》を
がらんがらんと鳴らしてゐる
天の川は北から西へ流れてゐた
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