2字下げ]六蔵[#「六蔵」は中見出し]

六蔵が家の前に立つて
田の稲を眺めながら
群雀《すずめ》のことを考へてゐると――

群雀の一団《ひとかたまり》が飛んで来て
稲の上に
かぶさるやうに下りた

六蔵は駈けて行つて鳴子《なるこ》の綱を引つ張つた
群雀はパツと飛び上つて行つて了つた
こんな日が幾日も続いた

田に稲がなくなると群雀は来なくなつた
六蔵は何んにも考へずに
寝そべつて煙草を吹かしてゐる

[#2字下げ]米松[#「米松」は中見出し]

米松《よねまつ》が鍬を担いで野良から
昼餉《ひる》に帰つて来た
裏戸が開けつ放しになつてゐる

鶏が竈《へつつい》の上へあがつて
鍋の中から
麦飯をつつき散らして喰つてゐた
隣の金《きん》が家に小間物屋が来てゐる
嬶《かかあ》の笑ふ声が聞えた
米松は忌々しげに泥手で煙草を吸つてゐる

嬶は西瓜《すゐくわ》を喰ひながら
帯の間《あはひ》に巾着《きんちやく》の紐をぶら下げて帰つて来た
鶏が厩の前へ駈けて来て立つてゐる


[#1字下げ]娘と劉さん[#「娘と劉さん」は大見出し]

[#3字下げ][#中見出し]※[#ローマ数字1、1−13−21][#中見出し終わり]

     娘
劉さん
赤ん坊が生れたならばどうしませう
何処へたのんで育てませう
     劉
ワタシ ワカラナイ アナタ スル ヨロシー
     娘
横浜の叔母さん所《どこ》へ遣りませう
新しい一※[#「ころもへん+身」、第4水準2−88−21]《ひとつみ》の一《ひとつ》も着せて遣りませう

[#3字下げ][#中見出し]※[#ローマ数字2、1−13−22][#中見出し終わり]

     娘
叔母さんに断られたらどうしませう
     劉
ワタシ クニ トホイ ワカリマセン
     娘
悲しいけれど捨てませう
顔の見えない闇の晩
ミルクの管《くだ》を哺《くく》ませて――公園のベンチの上に捨てませう

[#3字下げ][#中見出し]※[#ローマ数字3、1−13−23][#中見出し終わり]

     娘
お月夜の晩であつたらどうしませう
お月夜が続いて居たらどうしませう
育てませうか捨てましよか
     劉
ワタシ ニホン タツ アナタ タノム
     娘
薄情な、薄情な劉さん
思ひ切つて――悲しいけれど捨てませう
ベンチの上に青々と月がさしたら泣くでせう
わたしの顔を屹度眺めて泣くでせう
劉さん
劉さん
その時のわたしの心はどんなでせう


[#1字下げ]磯の上[#「磯の上」は大見出し]

親恋しがりの子雀よ
親が恋しく
海へ来たのか

海へはいつて蛤に化《な》つて了つた親雀は
お前のことは
もう忘れてゐるぞ

幾ら待つてゐても
元の親には逢はれないのだ
帰れ、帰れ

海の端で日が暮れたら
子雀よ
ほんたうにはぐれ雀になつて了ふぞ

親の古巣に
妹はどうした、姉は居ないか
もう日は山から暮れて来る

海|鵯《ひよどり》よ
子雀は磯にとまつて動かない
だまして山へ帰さぬか


[#1字下げ]百姓の足[#「百姓の足」は大見出し]

百姓の足は怖いから
見たら逃げろと
親蛙が咄して聞かせた

子蛙は毎日
畔《あぜ》の上に匍ひ上つて眺めてゐたが
百姓の足は来なかつた

ある夕方
子蛙が沼の端《はた》で遊んでゐると
百姓が鍬を担いでやつて来た

百姓の大きな足が
子蛙の後《うしろ》から
ずしんずしんと地響を打つて歩いて来る

子蛙は堪らなくなつて
沼の中に飛び込んで顫え顫え隠れてゐた
百姓はずんずん行つて了つた

子蛙が眼子菜《ひるも》の茎に捉《つかま》つて泣いてゐると
親蛙は田の中から跳ねて来て
一所に連れて帰つた

怖い百姓の足が毎日田の中に這入つて来た
百姓はたうとう子蛙の居所までも
跡方なしに耕して了つた

それでも子蛙は生れた田の中が
自分の家だと思つて居たら
皆な怖い足の百姓のものだと親蛙に聞かされた


[#1字下げ]手[#「手」は大見出し]

若い女は
水菓子屋の表に立つて
パイナツプルを買つてゐる

若い男は
店の中にはいつて
パイナツプルを買つてゐる

男が取り次いでくれた
パイナツプルを受けとるとき
女の手が顫えた

男の手
女の手
女の手は顫える


[#ここから1字下げ]
[#ここから大見出し]
畑ン中
   (ある農夫の歌の VARIATION)
[#ここで大見出し終わり]
[#ここで字下げ終わり]


真昼間でごわせう
畑《はたけ》ン中に、田鼠《むぐらもち》が一匹
斑犬《ぶち》に掘りぞべられて
イヤハヤ
むんぐらむんぐら居やあした
畑の土は、開闢《かいびやく》このかた、黒いもんか
どなもんか
真《まこと》の所、烏に聞いて見やあすべい

畑ン中は、青空天上、不思議はごわすめえ
喉笛鳴らした、ケーケーケー
鶏《かしは》が走つた
こりやまた事かと魂消《たまげ》払つて居りやあした
蜻蛉《あけづ》が一匹
追つかけ廻つた、啄《つつ》くわ啄くわ
ぶつ飛びあがつた、飛んだわ飛んだわ
蜻蛉は御運《ごうん》でござりあした

地主様の一人娘が
娘に二種《ふたいろ》何処《どこ》にごわせう
どどの詰りが
エヘン
孕み女になりやあした
畑ン中の豆ン花|何《ど》なもんだ
朝つぱらから何事ぶたずに
べろりと咲いてござりやあす


[#1字下げ]山火事[#「山火事」は大見出し]

野兎の子と雉《きぢ》の子と住んでる山が山火事だ
早く逃げぬか
焼け死ぬぞ

先刻《さつき》鳴き鳴き雉の子は
飛んで逃げた
野兎の子はどうした

山の上に走り腐つて逃げたのが
野兎の子でなかつたか
あれは宿なしの山|鼬《いたち》だ

鼬だと鼻ン先が黒い筈だ
黒いとも、黒いとも
真黒だ

駈けてつて見ろ
山一面に火の海だ
逃げ道がなくなる

野兎の子はどうした
山に居るのか居ないのか
息を切つて逃げて来た

何方《どつち》の方へ逃げてつた
雉の子が飛んでつた山の方へ
夢中になつて走つたぞ


[#1字下げ]己の家[#「己の家」は大見出し]

[#2字下げ]一 その頃[#「一 その頃」は中見出し]

己《おれ》が東京から帰つてゆくと
鶏|小舎《ごや》の側《そば》に
無花果《いちぢく》が紫色に熟してゐた

己の家の穀倉《こくぐら》には
米と麦が
向ひ合つて重ねてあつた

己は背戸の杉山に
懸巣が来て鳴くのが
うれしくて堪らなかつた

己が馬に乗つて野にゆくと
頬白は
藪の上に囀つてゐた

己は座敷の丸窓を開けて
紅い芙蓉の花を眺めながら
毎日、本を読んで遊んでゐた

丁爺《ていぢー》が餅を搗いて持つて来て呉れた
己が飛行機の話をすると
ほんたうとは思はずに帰つて行つた

己は巻莨《シガー》を吹かしながら
村の子供等を集めて
庭の植込の中を歩き廻つて遊んだ

己は日暮方になると
裏の田甫《たんぼ》の中に立つて
バーンスの詩の純朴に微笑《ほほゑ》んでゐた

己は百年も二百年も
斯《かう》して生きてゐたいと思つた

[#2字下げ]二 篠藪[#「二 篠藪」は中見出し]

蝸牛《ででむし》よ
黙り腐つた蝸牛よ、渦を巻いてゐる蝸牛よ
何が恋しい
篠藪に
さら、さら、さらと雨が降る

夢現《ゆめうつつ》に
己は暮らした
蝸牛よ
己に悲しいコスモスの
花と花とに雨が降る

もう、己の家は最終《をはり》だ
蝸牛よ
田も売らう、畑も売らう
篠藪に
さら、さら、さらと雨が降る

[#2字下げ]三 霜の朝[#「三 霜の朝」は中見出し]

厩《うまや》の前の葱畑に霜が真白に降つてゐた
己が顔を洗つてゐると
鵯《ひよどり》が来て
南天の実を食つてゐる

己が売つて了つた馬を
博労《ばくらう》が下駄を穿いて牽きに来た
馬は博労に牽かれて門を出ながら
悲しさうに厩の方を振り向いて見てゐた

己は門の外まで駈けて行つて見た
冷たい朝日がさしてゐる
田甫の中を
馬は首を垂れて博労に牽かれて行つた

己は茫然として縁側に腰を掛けてゐた
鵯が南天の木から
囲垣《ゐがき》の椿の木へ飛んで行つて
己の方を向いて鳴いてゐた

己の家の囲垣は樫の木を売つて了つてから
ほんたうにみそぼらしくなつて了つた
緑青の食《は》んだ銅《あかがね》の門の垂木《たるき》から
霜解の雫がじたじたと落ちてゐる

[#2字下げ]四 何処へ[#「四 何処へ」は中見出し]

己が売つて了つた田の中で
水鶏《くひな》が鳴いてゐる
己は悲しくなつて田の方を見ないで通つて来た

元《もと》己が家の畑の中に
青々と麦が育つてゐる
己は悲しくなつて畑の方を見ないで通つて来た

己が借金《かり》の為めにとられた杉山が
真黒になつて茂つてゐる
己は悲しくなつて山の方を見ないで通つて来た

己は悲しくなつてもうこの村には居られない
己は何処《どこ》へ行かう
何故己は死ねずに
この村に居るだらう

[#2字下げ]五 暗い心[#「五 暗い心」は中見出し]

己が持つてゐた亡父《おや》の形見の煙草入を
質屋の隠居が
毎日持ち歩いて吸つてゐる
己は、それを見るたび胸が一杯になつた

己が着てゐた夏|外套《インバ》を
古着屋の婆《をばばあ》が
毎日負ひ歩いて見せてゐる
己はそれを聞くたび胸が一杯になつた

己の家で飼つて置いた鶏を
己が売つてやると
すぐ縊られて喰はれてゐる
己は鶏の羽根を見て胸が一杯になつた

己はもう希望も欲もなんにも無くなつて了つた
生きたくも死にたくもなんともない
この村にさへ居なかつたら
己の心はのんびりしよう

[#2字下げ]六 風が吹く[#「六 風が吹く」は中見出し]

己の家のうしろの沼に風が吹く
実にしみじみ風が吹く
見れば見るほど
風が吹く

山の方から風が吹く
広い河原の
砂利《ざり》石に
風は鳴り鳴り吹いて来る

己が生れたこの村の
井戸の釣瓶に
風が吹く
風は鳴り鳴り吹いてゐる

[#2字下げ]七 丁爺[#「七 丁爺」は中見出し]

己は少年の頃
穀倉《こくぐら》の廂へあがつて雀の巣を毀したことを覚えてゐる
巣を毀された親雀は、日が暮れて了つても廂の上にとまつてゐたことも覚えてゐる
穀倉は田を売つて了つた同じ年に己が売つて了つた
穀倉の跡には青い蓬《よもぎ》が生えてゐる
己は庭へ出て見るたび熱い涙が胸にこみあげて来た

己は門の屋根の銅《あかがね》を剥して売らうと考へた
己は靴を穿いて古金屋《ふるがねや》のある町の方へ出掛けて行つた
途中で丁爺に遭つた
己は仕方なくて銅の話をした
『お前さまの親御に御恩は返えせねえから、せめて――お前さまのお家でも繁昌させてえと――鎮守様にも御願をたててゐるでがす――』
丁爺は悲しい顔をして己の顔を見てゐた
己もほんたうに悲しくなつた
己は古金屋へ行かずに帰つて来た

己は庭木を売らうと思つて植木屋をよんで来た
丁爺が来た
丁爺の目には涙が一杯に浮んでゐた
己は堪らなくなつて家の中に駈け込んで一人で泣いた

西風が稲の上に毎日吹いた
丁爺は己の家の庭へ来て
いつも悲しい顔で立つて眺めてゐた
己は丁爺に
古くから己の家にあつた紫檀の蓋の湯呑を与《や》つた
『お前さまの形見でがな――』
丁爺も己も一所に泣いた

百姓はうれしさうに馬を牽いて歩いてゐる
己に楽みのない収穫の秋がたうとう来た
己は朝の未《まあ》だ薄暗い内に
ズツクの鞄を抱《かか》ひて汽車に乗つた
腰の屈《かが》んだ丁爺は改札口の欄干《てすり》に伸び上り伸び上り
『お前さま、御無事で暮らして下せえ』と己に云つて泣いてゐた

[#2字下げ]八 頬白[#「八 頬白」は中見出し]

己が野へ行くたび
藪の上にとまつて鳴いてゐた
頬白よ
己はお前のことをほんたうに懐しく思ふ

己はこの村に家も屋敷もなくなつて了つた
己は東京の友達を便《たよ》つてゆく
今日は別れだ
頬白よ
お前は達者でゐて呉れよ

己は東京から
二度この村へ帰つて来られるかどうか
今のところでは解らない
帰つて来ないとしても
お前はいつまでも達者でゐて呉れよ

己が東京へ行つて
何処に住むようになるか未だ解らない
本郷に住んでも浅草に住んでも
この村のこ
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
野口 雨情 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング