蝙蝠が来たなら
跣足《はだし》になつて追つ蒐《か》けろ
[#1字下げ]縁側[#「縁側」は大見出し]
彼はお針をしてゐる妻君に
爪の伸びた手を出して
鋏を借せと云つた
鋏は妻君の膝のあたりにある
若い妻君は
彼の手を眺めるやうに見て
笑ひながら
鋏をとつて渡した
彼は日の当つてゐる縁側に胡座《あぐら》をかいて
パチリパチリ切り初めた
爪は遠くまで飛んで
皆んな庭の上に落ちる
妻君はそーつと彼の後《うしろ》に来て
顔を覘いてゐた
彼は爪の奇麗になつた手を出して見せた
若い妻君は黙つて立つて笑つてゐる
[#1字下げ]わしの隣人[#「わしの隣人」は大見出し]
[#2字下げ]彦兵衛[#「彦兵衛」は中見出し]
彦兵衛が、家の前の畑に
蘿蔔《だいこん》の種を蒔いてゐると
郵便配達が来た
彦兵衛は汚れた手で
葉書を受け取つて眺めてゐる
配達は行つて了つた
電車の車掌に及第した
東京の忰からの葉書だ
彦兵衛の顔はにこにこした
囲爐裡《いろり》の中に
麦鍋が
泡《あぶく》立つて煮え零《こぼ》れてる
[#2字下げ]お霜[#「お霜」は中見出し]
お霜が畠に馬鈴薯《じやがたらいも》を掘つてゐると
馬を牽いた男が
弄戯《からか》つて通つてゆく
お霜が土手に足を出して休んでゐると
前《さき》の男が馬を牽いて帰つて来た
また弄戯つて通つてゆく
お霜がもう帰らうとすると
藪の中に
男は首を出してゐた
[#2字下げ]留さん[#「留さん」は中見出し]
東京で流行《はや》る――サイノロジーと云ふ
田舎にはない新言葉
西洋の煙草の名でもあるか知らと
留さんは思つてゐた
留さんが田うなひに出て行つた後《あと》で
頬の赤い嬶《かかあ》が長々と昼寝をしてゐる
ボーリン衝きの若い監督は
サイノロジーと云つて笑つて行く
留さんは解《げ》せずで解せずで堪らない
その晩、夕飯を喰ひながら嬶に咄した
嬶は飴菓子を噛りながら
これも解せずで――首を抂《ま》げた
[#2字下げ]お艶[#「お艶」は中見出し]
お艶《つや》が風呂にはいつてゐると
若い男が
だましに来た
小さな声でだましてゐる
お艶がざぶり湯をかけてやると
男はうろうろしてゐたが
裏から
すーつと逃げて行つた
馬は厩《うまや》に
馬堰棒《ませんぼ》を
がらんがらんと鳴らしてゐる
天の川は北から西へ流れてゐた
[#2字下げ]六蔵[#「六蔵」は中見出し]
六蔵が家の前に立つて
田の稲を眺めながら
群雀《すずめ》のことを考へてゐると――
群雀の一団《ひとかたまり》が飛んで来て
稲の上に
かぶさるやうに下りた
六蔵は駈けて行つて鳴子《なるこ》の綱を引つ張つた
群雀はパツと飛び上つて行つて了つた
こんな日が幾日も続いた
田に稲がなくなると群雀は来なくなつた
六蔵は何んにも考へずに
寝そべつて煙草を吹かしてゐる
[#2字下げ]米松[#「米松」は中見出し]
米松《よねまつ》が鍬を担いで野良から
昼餉《ひる》に帰つて来た
裏戸が開けつ放しになつてゐる
鶏が竈《へつつい》の上へあがつて
鍋の中から
麦飯をつつき散らして喰つてゐた
隣の金《きん》が家に小間物屋が来てゐる
嬶《かかあ》の笑ふ声が聞えた
米松は忌々しげに泥手で煙草を吸つてゐる
嬶は西瓜《すゐくわ》を喰ひながら
帯の間《あはひ》に巾着《きんちやく》の紐をぶら下げて帰つて来た
鶏が厩の前へ駈けて来て立つてゐる
[#1字下げ]娘と劉さん[#「娘と劉さん」は大見出し]
[#3字下げ][#中見出し]※[#ローマ数字1、1−13−21][#中見出し終わり]
娘
劉さん
赤ん坊が生れたならばどうしませう
何処へたのんで育てませう
劉
ワタシ ワカラナイ アナタ スル ヨロシー
娘
横浜の叔母さん所《どこ》へ遣りませう
新しい一※[#「ころもへん+身」、第4水準2−88−21]《ひとつみ》の一《ひとつ》も着せて遣りませう
[#3字下げ][#中見出し]※[#ローマ数字2、1−13−22][#中見出し終わり]
娘
叔母さんに断られたらどうしませう
劉
ワタシ クニ トホイ ワカリマセン
娘
悲しいけれど捨てませう
顔の見えない闇の晩
ミルクの管《くだ》を哺《くく》ませて――公園のベンチの上に捨てませう
[#3字下げ][#中見出し]※[#ローマ数字3、1−13−23][#中見出し終わり]
娘
お月夜の晩であつたらどうしませう
お月夜が続いて居たらどうしませう
育てませうか捨てましよか
劉
ワタシ ニホン タツ アナタ タノム
娘
薄情な、薄情な劉さん
思ひ切つて――悲しいけれど捨てませう
ベンチの上に青々と月がさしたら泣くでせう
わ
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