らであります。まことに子供らしいのが童謡でありますから、世にいふ普通の文学とは変つてをります。ここに童謡の童謡たる所以があるのであります。
さて、この童謡について言ふならば、「赤子は大人の如し」と昔の聖人が言つてゐますがここに言ふ赤子とは赤ン坊の意味でなく純真の心の持主の意味であります。又大人と言つたのも単におとなの意味でなく人々の手本となるべき人の意味であります。今でも目上の人に対して何々尊大人とか書くのと尊敬して書くのと同じ意味であります。要するに「赤子は大人の如し」と言つたのは子供の心には人々の手本となるべき尊い心があると言ふ意味になるのであります。その外にも昔の聖人と言はるる人は言葉が違つてゐても同じ純真さを説いてをります。昔から子供の心は誰でも純真であることがうなづかれます。
童謡を作るには仮へば水の低きに流るるやうなもので、すらすらと書かれるのが本当です。考へ考へ書かれたのは、すらすらとなりません。児童の教育に差支へのない限りはこの点に指導者は注意を要すべきことであります。
童話と童謡とは同じ童心から生まれるのでありますが、童話はお話であつて、童謡は歌でありますから、
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