手に入れたのか一抱えの絵を持ち込んだので、漱石先生は一々それを見て居たが、
「これも駄目だ。あれも駄目だ。どれを見ても皆、銭を欲しがつて描いて居るので、ろくなものはない」
などと言つて居た。すると隅に押しつけてある絵があつた。先生は
「それを見せろ」
と言つた。樗蔭氏は、
「これはつまらぬものです。おまけに貰つて来たのですから駄目です」
と頭からあきらめて居た。漱石先生がそれを見ると、実に気品の高い蘭であつた。
「これはよい。まだくれた人のところへ行つたらあるだらう、これこそ本当の人格の作だ」
漱石先生はしきりにほめたので、樗蔭氏が貰つた人の所へ行つて聞くと、長崎へ行つたらあるだらうとの事であつた。樗蔭氏は、このことを中央公論へ書いた。私は夏目先生を訪ふたことがあつたが、その時樗蔭氏にもお目にかかつたのである。樗蔭氏は夏目先生より後で逝去された。このことがあつて以来、雲坪先生の名は世に知られた。そして雲坪の研究者も現はれて来た。私が新潟へ行つた時、私の話もすんで、人々は私のための晩餐会をすることになつた。海水浴場の料理屋、あそこは静かであるからとて、その料理屋へ行つた。その時、私は沼
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