来る、頭の刈方は普通と違つて一分の丸刈である、女中がどこかの寺の坊さんと思つたのも無理はない。
『私は石川啄木です』と挨拶をする。
『さうですか』
 私は大急ぎに顔を洗つて、戻つて来ると、
『煙草を頂戴しました』と言つて私の巻煙草を甘《うま》さうに吹かしてゐる。
『実は昨日の夕方から煙草がなくて困りました』
『煙草を売つてませんか』
『いや売つてはゐますが、買ふ金が無くて買はれなかつたんです』と、大きな声で笑つた。かうした場合に啄木は何時《いつ》も大きな声で笑ふのだ、この笑ふのも啄木の特徴の一つであつたらう。
 そのうちに女中が朝食を持つて来た。
『朝の御飯はまだでせう』
『はア、まだです』
 女中に頼むと直ぐ御飯を持つて来た。御飯を食べながら、いろいろと二人で話した。札幌には自分の知人は一人もない、函館に今までゐたのも岩崎郁雨の好意であつたが、岩崎も一年志願兵で旭川へ入営したし、右も左も好意を持つてくれる人はない全くの孤立である、自分はお母さんと、妻君の節子さんと、赤ん坊の京子さんと三人あるが、生活の助けにはならない。幸ひ新聞で君が札幌にゐると知つたから、君の新聞へでも校正で良いから
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