ところを判り易いやうに大通りと言つてゐる、札幌のうちでも大通りは淋しい方であつた、明治の初めに北海道最初の開拓使永山将軍が将来の札幌を見越して大陸的に道路は広くし市街の区画割も思ひ切つて贅沢に定めたのださうだ、私のゐた花屋は室数《へやかず》が五室位のバラック式|平家《ひらや》で随分見すぼらしい下宿屋であつたが、それでも下宿人は満員であつた、皆なおとなしい人ばかりで高声一つ立てるものはない。
 ある朝、夜が明けて間もない頃と思ふ。
『お客さんだ、お客さんだ』と女中が私を揺り起す。
『知つてる人かい、きたない着物を着てる坊さんだよ』と名刺を枕元へ置いていつてしまつた。見ると古ぼけた名刺の紙へ毛筆で石川啄木と書いてある、啄木とは東京にゐるうち会つたことはないが、与謝野氏の明星で知つてゐる。顔を洗つて会はうと急いで夜具をたたんでゐると啄木は赤く日に焼けたカンカン帽を手に持つて洗ひ晒しの浴衣《ゆかた》に色のさめかかつたよれよれの絹の黒つぽい夏羽織を着てはいつて来た。時は十月に近い九月の末だから、内地でも朝夕は涼し過ぎて浴衣や夏羽織では見すぼらしくて仕方がない、殊に札幌となると内地よりも寒さが早く
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