紙に、
『君の希望してゐる新聞社が札幌にあるらしい、大した新聞ではないか知れぬが、梅沢君を訪ねて行くやうに』
と、あつた。梅沢君と言ふのは、同じ早稲田の先輩で西行法師の研究家として知られてゐた梅沢|和軒《わけん》氏のことだ、梅沢氏の父君は根室裁判所の判検事を永らく勤めてゐたから、和軒氏も北海道で育つて北海道の事情は何んでも知つてゐた。一見学者風の人格者である。私は坪内先生の手紙を見ると同時に小石川鼠坂上の和軒氏方を訪ねた。児玉花外、西山|筑浜《ちくひん》氏等がその以前に鼠坂下に住んでゐて、吉野臥城、前田林外氏なぞと始終訪ねて行つたことがあるから、この辺の地理はよく知つてゐた。幸い和軒氏は居つて、
『札幌の大した新聞ではないが、社長の伊東|山華《さんくわ》君が志士的な愉快な人だ、生れは福島県の若松藩だが帝大の専科を出た文章家だ、九段上の旅館にゐるから行つて見よう』と和軒氏も一緒に行つてくれた。
 九段上の旅館(名は忘れたが招魂社の傍)で社長の山華氏に会つた。成る程志士的気慨の溢れてゐるやうな人で、言語も態度も洵《まこと》に純朴だが一旦国を論じ世を議するとなればその熱烈さには敬服した。一見
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