沙上の夢
野口雨情
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)鶫《つぐみ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)京都|智恩院《ちおゐん》
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(例)[#ページの左右中央]
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なつかしいのは、故郷の土である。「沙上の夢」は、土の詩であり、私の故郷の詩である。
この集中に収めた作品の多くは、散逸してたづねようのなかつたのを保存して置いてくれた友人藤田健治氏の好意を、私は感謝にたへない。
大正十二年春
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沙上の夢[#「沙上の夢」は大見出し]
[#1字下げ]河原の雨[#「河原の雨」は中見出し]
河原の石に
降る雨は
恋しい人の
涙かよ
河原の岸の
笹の葉に
さびしい さびしい
雨が降る
「河原の
雨は
降る
雨は」
かなしい唄も
うたはずに
わかれた人の
涙かよ
[#1字下げ]梅の実[#「梅の実」は中見出し]
梅の実の落ちしを見ても
かなしくて
心の底に渦がまく
すぎし月日は
帰らずも
帰つて下さいもう一度
忘れよう忘れようとはするけれど
梅の実の
落ちしを見ても思ひ出す
[#1字下げ]春の鳥[#「春の鳥」は中見出し]
やさしい鳥よ
春の歌
春待つ鳥の
かはい声
やさしい歌よ
春の鳥
春来る鳥の
かはい歌
[#1字下げ]村踊の夜[#「村踊の夜」は中見出し]
村のお若い衆よ
サツコラサとをどれ
をどれよ!
お月さまから
兎が見てる
兎よ!
若い娘の
顔ばかり見てる
顔をよ!
夜は更けたし
サツコラサとをどれ
サツコラサとよ!
[#1字下げ]スイッチヨ[#「スイッチヨ」は中見出し]
スイッチヨ スイッチヨと
大阪の
街のはずれで鳴くスイッチヨ
姉は 筑紫の
長崎へ
妹も 筑紫の
長崎へ
スイッチヨ スイッチヨと
蔦の葉の
上にとまつて鳴くスイッチヨ
[#1字下げ]鶫[#「鶫」は中見出し]
今日も鶫《つぐみ》が
丘に来て啼いた
おれも泣きたい 鶫の鳥よ
空は乳色に
また日が暮れる
死んで別れた
人ではないし
忘れようとて 忘らりよか
[#1字下げ]永い月日[#「永い月日」は中見出し]
永い月日だ
雛芥子の花
枝垂れ柳に
雨さへ降るし
すさみはてたよ
ゆるしておくれ
いつそ田舎に
ゐりやよかつた
[#1字下げ]異国船[#「異国船」は中見出し]
南の風が今日も吹く
筑紫の 海へ
阿蘭陀の
船が来るぞへ
惣八さん
この世は夢だと思やんせ
浪華の 夢は
一夜草
みぢかい みぢかい
一夜草
南の風が今日も吹く
沖に見ゆるは
阿蘭陀の
三角白帆の
異国船
この世は夢だと思やんせ
[#1字下げ]上野駅[#「上野駅」は中見出し]
女姿《をやま》で暮らす
新潟の
港へ帰る旅役者
カラン コロンと
冬の夜の
新潟行の汽車が出る
白粉やけのした顔で
新潟の
港へ帰る旅役者
カラン コロン
カラン コロンと
新潟行の汽車が出る
[#1字下げ]七つの島[#「七つの島」は中見出し]
佐渡は 離れ島
隠岐も
離れ島
伊豆の 八丈も
皆離れ島
伊豆に
七つの
父島 子島
七つ子島も
皆離れ島
離れ島ゆゑ
恋しうて
これさ
伊豆の子島の
七つの島はよ
[#1字下げ]憂心[#「憂心」は中見出し]
恋は さめたし
この世は
夢か
恋も 捨てたし
この身も
夢か
なぜに かなしい
この世の
夢よ
[#1字下げ]狐[#「狐」は中見出し]
霜の降る夜《よ》に
狐が
啼いた
尻尾重たかろ
足が
冷たかろ
田甫《たんぼ》そこらここら
一晩中
啼いた
[#1字下げ]蘆の芽[#「蘆の芽」は中見出し]
東京の硝子の窓に
雨が降る
しどろもどろに
春の夜の
雨は硝子の
窓に降る
ふるさとの
蘆《あし》の芽にさへ
春の夜の
雨はしどろに
降りしきる
帰りませうかふるさとへ
別れませうかこの君と
しどろもどろに
春の夜の
雨は硝子の
窓に降る
[#1字下げ]枯れ田[#「枯れ田」は中見出し]
稲は刈られた
鴫が来て啼いた
ちよこら ちよこらと
歩き 歩き
啼いた
あまり細い声だ
可哀想に
思うた
うすら寒い風が
田の中に吹いてる
[#1字下げ]忘れてる[#「忘れてる」は中見出し]
おでこ 娘は
十六むさし
ちさいとき泣いた顔
忘れてる
京都|智恩院《ちおゐん》の 廂の上に
大工さんも
傘《からかさ》
忘れてる
おでこ 娘は
十六むさし
泣いたことないよな
顔してる。
[#1字下げ]風は南風[#「風は南風」は中見出し]
鵜戸《うど》も 青島も
南の風よ
思ひ出すぞへ
片割月が
誰に焦れてか
昼から出てる
誰に焦れたか
わしや知らないが
風は南風
青島沖の
離れ磯にでも
焦れただろか
[#1字下げ]おけらの唄[#「おけらの唄」は中見出し]
おけらの唄の
さびしさに
窓にもたれて
すすり泣く
まぼろし草も
コスモスも
花は昔の
ままで咲く
おけらの唄の
さびしさに
畳の上に
伏して泣く
[#1字下げ]星の数[#「星の数」は中見出し]
星の数ほどたたなけりや
可愛人には逢はれない
わたしはかなしくなつて来て
泣かずに泣かずにゐられない
星の数ほどたつたなら
わたしを忘れてしまふだろ
[#1字下げ]十五の春[#「十五の春」は中見出し]
十五の春は
昨日の夢
もう十六の
春が来た
十六の 春も
昨日の夢とすぎ
また十七の
春が来る
[#1字下げ]蘆枯れ唄[#「蘆枯れ唄」は中見出し]
蘆が枯れたら
どこで逢ひませう
前の河原は
石まで枯れるし
蘆が枯れたら
どこで逢ひませう
裏の畑は
土まで枯れるし
蘆が枯れたら
どこで逢ひませう
蘆の枯れ葉の
蔭で逢ひませう
[#1字下げ]榧の木[#「榧の木」は中見出し]
赤い花を今日も一人で見てゐると
ふるさとの
若い女がたづねてでも来さうな気がする
ふるさとの
若い恋しい女達よ
五年六年逢はないが
河原の岸の枯れ蘆は芽もふかず花も咲かずにしまつたか
おみよ娘も十七か八九位になつたらう
おれが家の裏の畑の
榧《かや》の木に
今も鶫《つぐみ》が来て啼くか
鶫の啼くを聞くたびに
ふるさとの
畑の中の榧の木が
思ひ出されて限りなく
涙が出るぞ
女達
[#改段]
港の時雨[#「港の時雨」は大見出し]
[#1字下げ]港の時雨[#「港の時雨」は中見出し]
蛇の目傘に
時雨が降るに
月日かぞへて
港を見てる
待つはつらかろ
待たるる身より
伏木港の
船頭さん達よ
[#1字下げ]仇花[#「仇花」は中見出し]
月に一度も
逢はずにゐても
かはい サロンの
あの仇花よ
はなればなれに
暮してゐても
恋は濃くなる
浮名は流る
[#1字下げ]後姿[#「後姿」は中見出し]
うしろ姿のさびしいは
心で泣いてゐるからさ
田舎娘でゐた頃は
可愛姿でゐたんだよ
末枯《すが》れてかなし牛込の
今はカフエーの杜若《かきつばた》
恋の懸橋この上は
渡しておくれよたのむぞへ
[#1字下げ]西瓜畑[#「西瓜畑」は中見出し]
西瓜畑さ
お月さま出てる
そろりそろりと
お月さま出てる
土をたたいたら
どしんこと響いた
姉も 妹も
おさらば さらば
[#1字下げ]五月雨[#「五月雨」は中見出し]
五月雨の降る夜に君は
川下《かはしも》の
浅瀬を越えて逢ひに来《き》ぬ
夜の明け頃に帰りゆく
君を幾夜も
川下の
浅瀬の中に見送りし
五月雨の降る夜となれば
なつかしく
その頃の君の姿がしのばれて来る
[#1字下げ]夕の月[#「夕の月」は中見出し]
お仲姉さま
畑の中で
しやなりしやなりと
麦踏みしてる
雁は帰るし
夕《ゆふべ》の月は
擽林《くぬぎばやし》の
上から出てる
つまらないよと
涙で言うた
お仲姉さま
丸顔だつけ
[#1字下げ]葛飾の夏[#「葛飾の夏」は中見出し]
卯の花が散る
時鳥が啼く
沼の中に
菖蒲《あやめ》の花も咲いてゐる
沼の中の
菖蒲の花よ
葛飾《かつしか》に
今|二月《ふたつき》もゐたかつた
家も屋敷もない おれは
去年の夏は東京に
今年の今は葛飾に
わかれねばならぬ時が来た
この住み馴れた
葛飾の
菖蒲の花よ
又逢はう
[#1字下げ]恋のかけ橋[#「恋のかけ橋」は中見出し]
恋のかけ橋
渡れと
かけた
渡るつもりで
今日まで
ゐたが
竹の一本橋
渡らりよか
[#1字下げ]葱[#「葱」は中見出し]
葱と楮《かうぞ》と
故郷と思ふ
故郷出るとき
畑の葱よ
葱も楮も
風に吹かれてた
[#1字下げ]唄[#「唄」は中見出し]
唄が聞える
渡り鳥が渡る
細い さびしい
機織唄よ
けふも渡り鳥が
空を飛んで渡る
[#1字下げ]矢車草[#「矢車草」は中見出し]
矢車草の葉の蔭に
かくれて
鳴いた
きりぎりす
姉上さまには
だまされた
母上さまにも
だまされた
かくれて 鳴いても
矢車の
車といふ名に
だまされた
[#1字下げ]岡の上[#「岡の上」は中見出し]
霞の中に
黄金色《かねいろ》の
菜種の花は咲きにしが
葦の芽に降る
春雨の
そそぐ響きも聞きにしが
麦の葉に吹く
暁の
風も静に吹きにしが
靄の中から
しとしとと
草に甘露の霧が降る
[#1字下げ]川しぶき[#「川しぶき」は中見出し]
さつさ行きましよ
あの山越えて
花は咲けども
ふるさとの
月はおぼろに
川しぶき
さつさ行きましよ
あの川越えて
花は散れども
ふるさとの
月はなつかし
川しぶき
[#1字下げ]有明お月さん[#「有明お月さん」は中見出し]
昔の あなたと
違ふから
この頃 わたしは
つらくてよ
どうすりや わたしは
いいのだらう
昨夜《ゆうべ》も 一晩
泣いたのよ
昔のあなたに
しておくれ
有明お月さん
たのんだよ
[#1字下げ]うづまき[#「うづまき」は中見出し]
河原に立つて
利根川の
水の青いを見てゐると
胸に涙が湧いて来た
河原の岸に
ぐるぐると
小さい渦が
まいてゐる
手をとり合うて
恋人と
あるいて見たい
気さへする
小さい渦に
ぐるぐると
まかれてみたい
気さへする。
[#1字下げ]熱い涙[#「熱い涙」は中見出し]
もぬけの 殻の
わが恋よ
この世は 旅の
空蝉《うつせみ》か
永い 月日は
夢の間に
熱い 涙よ
胸の火よ
[#1字下げ]両国のあたり[#「両国のあたり」は中見出し]
両国の橋を渡つて
ゆきました
十八か 十九位の
女です
『口入業』と書いてある
路次の出口で あひました
髪の毛の 房々とした
女です
[#1字下げ]角豆畑[#「角豆畑」は中見出し]
山で別れた子に逢はず
子ゆゑ吾妻《あづま》の鶯は角豆畑《ささげばたけ》に啼いてゐる
きのふ榊の木の枝に
笹の枯葉に眼を衝いて父《とと》よ父よと鳥がゐた
けふも榊の木の枝に
笹の枯葉に眼を衝いて母よ母よと鳥がゐた
山でわかれた子に逢はず
風のふくのに鶯は角豆畑に啼いてゐる
[#1字下げ]櫛[#「櫛」は中見出し]
裏の川端の
さらさら蓬
思ひ返して
みる気はないか
今朝《けさ》も 裏戸に
櫛が落ちてゐた
通つて来たのか
可哀想なものだ
[#1字下げ]砂の上[#「砂の上」は中見出し]
砂に 字を書いた
別れと
書いた
永い別れと
思へと
書いた
書いた字を見て
足で砂
踏んで
ざくり ざくりと
涙で
踏んだ
[#1字下げ]そのころ[#「そのころ」は中見出し]
枯れた草さへ
昨日の――夢を
夢をよ――
うつらうつらと
繰り返してる
夢をよ――
冬の月さへ
昔の――夢を
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