ぶ所でないとは支那人の定論である。さうして又日本にはそれに對して既に注意した大家例へば貫名などの如き人もある。勿論今日以後は貫名流で以て古來の筆意を盡すと云ふことは考へもので、此の研究には又更に一變を要することは明かであるけれども、兎に角さう云ふ風に正しい方向に向つて來て居つたのを、一時己れ等の見識のない所からして誤つた方向に迷入つたと云ふのは、甚だ恥づべきことである。況や近頃のやうに、俳句などをヒネくるものが、文盲の癖に、北派にも何にもならないエタイの知れない字を書いたり、看板やコマを書く一種の俗筆を北派だとして居るに至つては、殆んど採るに足らないものである。幸ひに大阪の觀鵞會などゝ云ふ書法を奬勵する會が年々開かるゝに就ては、どうかその進歩の傾を正しい方に向けて、さうして何時までも支那人の尻馬にばかり乘るやうな不見識をせぬやうにしたいものである。
[#地から1字上げ](明治四十四年三月二十六日「大阪朝日新聞」)



底本:「内藤湖南全集 第八卷」筑摩書房
   1969(昭和44)年8月20日初版第1刷発行
   1976(昭和51)年10月10日初版第2刷
底本の親本:「東洋文化史研究」弘文堂
   1936(昭和11)年4月初版発行
初出:「大阪朝日新聞」
   1911(明治44)年3月26日
入力:はまなかひとし
校正:土屋隆
2004年11月4日作成
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