やあるべき。
寺傍の一旅店にて晝げはをへつ、寧樂につけば、日まだ高し。あとをつけ來る車夫、春日にや供せんなどいへど、先づ大佛へ行けとて、再たび毘盧遮那佛を拜しぬ。頭などは後の世の補修と聞けば、古さまならねど、蓮座などにはさすがに、天平の世の手澤存せずしもあらず、大殿は元禄の建築なるが、二百年の露霜にやゝ破損も出來しにや、足場しつらひて修繕と見ゆれど、大厦の傾くはこの柱かの梁の補修にて得支へなんや、覺束なし。博覽會には推古より天平、さてはなほ下れる世の佛像など少からず、舞樂伎樂の古假面など珍らしきもあれど、大方の見物人は、人魚の乾物、石川五右衞門が煮られし巨※[#「金+護のつくり」、第3水準1−93−41]をこそ目を注めて見るべけれ。殿を出でゝ再たび三月堂に上れば、梵天帝釋の温雅整肅にまします、裏手なる執金剛神の怒氣すさまじき、共に寧樂美術の粹とこそ聞け、乾漆の四天王、本尊は不空羂索の觀世音、共に天平のものなりとぞ、建築も當時のまゝなるは、東大寺境内にて正倉院を舍きては、この堂に留めたり。されど二月堂の清水の舞臺めきて、三十三番札所の一に列なれるこそ、この地の人も名所とはもてはやせ、この
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