いかばかりいぶせかりけん、いたはしなんど心にも言葉にも及ばずなん。
寧樂につきしは夜の九時頃なりき。猿澤池畔の一旅店にやどる。
翌る日、春日社、二月堂、三月堂、大佛殿、殿には博覽會あり、正倉院は地下人の入るを許されぬ處とて塀越しに望みたり、時は六月の初めつかた、このわたり草の香人を襲うて、野趣故國のなつかしみあり。されど堂々たる南都七大寺の隨一たる東大寺の境内、叢芳賞心の種とならんは、盛衰の感あはれならざらんや。狹穗川を渡りて聖武帝の陵を拜し、興福寺は金堂、東金堂、南圓堂、北圓堂、境内に今縣廳もあり、裁判所もあり、師範學校もあり。
午下には藥師寺にや赴かん、法隆寺をや觀んと、神澤子と話しつゝも、思はず共にしばし黒甜の郷に入りぬ。覺むれば、雨降り出でぬ、近くは嫩艸、三笠、遠くは志貴、葛城の山々、かしここゝの聚落、煙雨に裹まれて、興福寺の五重塔、猿澤池、一しほ優なるながめなり、几帳をへだてゝ坐睡したる女を見るがごとし、強ちに我が寢惚て見し故のみにはあらず。
遊觀もかなふまじと、歸阪に決して神澤子と停車場に至れば、雨に驚いて歸りをいそぐ乘客、蜂のむれたらんが若し。掏摸の此のまぎれによき仕事せんとて、やり損ひて警官に捕へられしも見えたり。此のたびは泰然としてはかなふまじと、神澤子帽をぬぎ、時計、紙入、蝙蝠傘を我にあづけ、身構いさましく、エイヤツト聲はかけねど、人を割て入りたれども、雲霞の如き大勢、叶ひ難くや、消息いかにと氣遣ふ間に、早くも列車は笛を鳴らして立去れば、取り殘されし數百千人、烟をながめて茫然たり。神澤子汗になりて歸り、不覺を悔めど詮なし。やはか再度の敗をば取るべきと、此度は必死になりて逸早く、買ひ得たりしも、切符改めの木戸を通り越すが又一難なりき。こは我が身にもかゝることゝ、笑て神澤子の苦戰を傍觀したる氣樂さとは事かはれば、心に少し驚かざるにあらねど、直ちに一計を案じて、人のかたまりし中に身を投じて、推さるゝがまゝに進み行けば、何時とは知らず木戸口に推し出されぬ、今の世を渡る紳士とやらんいふ人々も、かくしてこそは成出でしならめと思へど、處世の上には、我にさる伎倆なし。
旅の恥はかきずてとや、旅は失策の少々あらんこそ後々までも興ある者なれ。汽車にての失策は、時の運り合せと諦めなん、三笠山の麓にてものずきにも神澤子と共に三條小鍛冶といふに立寄りて、色々見あらしたるは
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