て、極めて希れに鮑刻本を參照したり。鮑刻本は明板本を宋本にて校したる者によりたるが、四夷部倭國の條は、明板の粗惡殊に甚しく、鮑刻本は又之を汲古閣本の三國志にて校改したる跡ありて、校宋本として取るべき處殆ど之なく、我が活字本の影宋本を墨守せるに如かざるなり。通典、册府元龜等は通行本を用ひたり。

       二、本文の記事に關する我邦最舊の見解

 本文の記事を考證するにつきては、先づ日本書紀の作者が卑彌呼を何人と見たるかを知らんことを要す、是れ我邦史家が本文の記事に下したる最舊の批評と謂ふべき者なればなり。神功皇后紀に左の記事あり。
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三十九年。是歳也大歳己未。[#ここから割り注]魏志云。明帝景初三年六月。倭女王遣[#二]大夫難斗米等[#一]詣[#レ]郡。求[#下]詣[#二]天子[#一]朝獻[#上]。太守※[#「登+おおざと」、第3水準1−92−80]夏遣[#レ]使將送詣[#二]京都[#一]也。[#ここで割り注終わり]
四十年。[#ここから割り注]魏志云。正始元年。遣[#二]建忠校尉梯携等[#一]。奉[#二]詔書印綬[#一]。詣[#二]倭國[#一]也。[#ここで
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