べく、本文撰擇の第一要件は、こゝに解決を告げたるなり。
第二の要件たる字句の校定は、本文即ち地名官名人名等の考證と相待つて爲さざるべからざる者多く、單獨に各本の※[#「止+支」、第3水準1−86−36]異を列擧せんことは、益少きを以て、後段に合併して、此には省略することゝし、今はたゞ已に掲げたる本文が、元槧明修本を本として、一二乾隆殿板本を參照せる者なることを告白するに止むべし。余が見たる諸本の中にては、大體に於て元槧明修本、最も正しきを覺えたり。汲古閣の十七史は、世に善本と稱せらるゝ者なるも、余が知れる所にては三國志、後漢書等は、頗る劣れるが如く、三國志は往々乾隆殿板よりも劣り、後漢書は夐かに元大徳本に淵源せしと見ゆる寛永活版本より惡し。乾隆殿板本は明の北監本に出でたれば、此は重複して擧ぐるを要せざるべく、三國志の明南監本は馮夢禎が手校を經たれば、監本中のやゝ善きものとせらるゝこと、顧亭林の日知録にも見えたれども、其の體式已に古ならず、字句の訛奪も亦往々にしてあり。此等は余が撰擇の標準を定めたる理由なり。又參考せる書中、太平御覽は未だ宋本を見るの機會を得ざれば我が倣宋活字本を主とし
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