けたるを、後漢書には位置の意義と變じたり。是れ改刪の際に起れる疎謬なり。
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有[#二]城柵屋室[#一]。父母兄弟異[#レ]處。
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三國志には「城柵」の字は、卑彌呼の居處に關する條にのみ見え、人民一般の風俗とは認められざるに、後漢書が其造語の嚴整を主として、人民の屋室にも「城柵」の字を添へたるは蛇足なり。更に著しき疏謬は左の一條に在り。云く
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自[#二]女王國[#一]東度[#レ]海千餘里。至[#二]拘奴國[#一]。雖[#二]皆倭種[#一]。而不[#レ]屬[#二]女王[#一]。
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三國志のこの記事は、前に顏師古が漢書の注を引けるにても知らるゝ如く、魏略と全然一致して、たゞ女王國の東に復た國ありといへるのみにて、之を狗奴國とはせず。狗奴國の記事は、女王境界の盡くる所たる奴國の下に繋けて、其南に在りとしたり。されば後漢書の改刪が不當なることは明らかなるに、從來の史家には、反て三國志を誤として、後漢書が他書によりて之を正したりと思へる者ありき。是れ蓋し顏師古が引ける魏略に思ひ及ばざりし過ならん。其他、
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