]は魏の時をいへるなり。然るに范曄が漢に通ずる者三十餘國とせるは、魏略の文を改刪して遺漏せるなり。但し帶方の郡名は漢時になきを以て、之を改めて韓とせるは、其の注意の至れる處なれども、左の條の如きは、猶全く其の馬脚を蔽ひ得ざるなり。
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樂浪郡徼去[#二]其國[#一]萬二千里。
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 魏略は女王國より帶方郡に至る距離を萬二千餘里としたるも、范曄は漢時未だ有らざる郡より起算するを得ざれば、已むを得ず、漢時已に有りたる樂浪郡の徼[#「徼」に白丸傍点]より起算せしなり。されど夫餘が玄菟の北千里といひ、高句麗が遼東の東千里といふ、いづれも其の郡治より起算せる例に照せば、女王國を樂浪の郡徼より起算せるは、例に外れたる書法なり。又云く
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其地大較在[#二]會稽東治之東[#一]。與[#二]朱崖※[#「にんべん+瞻−目」、第3水準1−14−44]耳[#一]相近。故其法俗多同。
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 三國志の文は「所二有無一」即ち風俗物産の※[#「にんべん+瞻−目」、第3水準1−14−44]耳朱崖と同じきをいひ、其下に風土を記せる句を續
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