ゐたる例あるを見、又漢書地理志の顏師古注に、此に掲げたる本文中、「女王國東渡[#レ]海千餘里。復有[#レ]國。皆倭種」といへるを引きて、之を魏略の文とせるを見れば、此の疑は氷釋すべし。既に三國志の倭人傳が魏略より出でたるを決せば、次で決したきは後漢書の倭國傳も、同じく魏略より出でたりや否やなり。後漢書の作者たる范曄は支那史家中、最も能文なる者の一なれば、其の刪潤の方法、極めて巧妙にして、引書の痕跡を泯滅し、殆ど鉤稽窮搜に縁なきの恨あるも、左の數條は明らかに其馬脚を露はせる者と謂ふべし。
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倭在[#二]韓東南大海中[#一]。依[#二]山島[#一]爲[#レ]居。凡百餘國。自[#三]武帝滅[#二]朝鮮[#一]。使譯通[#二]於漢[#一]者。三十許國。
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三國志が取れる魏略の文は、前漢書地理志の「樂浪海中有[#二]倭人[#一]。分爲[#二]百餘國[#一]。以[#二]歳時[#一]來獻見云。」とあるに本づきたるにて、其の「舊百餘國」と舊[#「舊」に白丸傍点]字を下せるは、此が爲にして、即ち漢時を指し、「今使譯所通三十國」といへる今[#「今」に白丸傍点
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