がよく覺えよいのです、私は國史家でありませんので年號を宙に覺えて居るのは困難でありますから、この革命革令をたよりにして徳川時代位の年號年數は殘らず記憶するやうに致して居ります。
 さういふわけで此辛酉革命、甲子革令といふことが大變有力な説になつてゐたのでありますが、後醍醐天皇の時になつて是に反對説を出した人があるのです、といふのは後醍醐天皇の元亨元年が丁度辛酉だつたのですが、其時に算博士の三善朝衡と小槻言春とが例の如く革命勘文といふものを上りましたが、大外記中原師緒といふ人が此辛酉革命、甲子革令の説に反對説を出したのです。その理由とする所は、清行の説は緯書に依つたものであるが、神武以來、何の書にも革命といふ説はなかつた、支那にしても經典には載つて居らない。清行が據つた所の緯書の文といふものは今はない、今はなくても全くなかつたといふ譯ではないが、要するに緯書は鄙近で、聖人の書でないといふことを學者が疑つてゐる程である、術數の學といふものも聖人の鄙しむ所である。たとひ又運數は禍に當つて居つても天子に徳さへあらばそれは消えるべき筈のものである、天子の徳によつて目出たい事が出てくるものである。
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