だから緯書の説はあつても、革命は畏るゝに足らない、又信ずるに足らない、今日より群疑を決して、法を將來に垂れんことを請ふと申して、辛酉革命の改元廢止論を唱へました。これは當時としては非常に突飛な議論で新しい考へであつたらうと思ひます、勿論これも宋學の思想が入つて居ります。併し當時即ち後醍醐天皇の時には其説が行はれないで、衆議に從はれてやはり改元になりました。それから甲子の時にも亦改元となり、其後も依然として辛酉革命、甲子革令は日本の歴史において行はれて居りましたが、ともかくも當時において斯ういふ新らしい學説を立てゝそれを言ひ出すといふことはよほど偉いことであります。實際まかり間違へば其當時の考へでは改元しなかつたために地震があつたとか、雨が多かつたとか、騷亂が起つたとか言ふやうな色々な苦情が起る、革命説を採らなかつたから斯ういふことが起つたのだといふ風に文句を言はれようといふやうな際において、ともかくもそんな迷信は役に立たんものだといふ説を出したといふことは、よほど面白いことであります。これは詰り當時後醍醐天皇が宋學、禪學をやられたといふ事の外に、一般の學問上においても革新の機運があつた
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