ですから、有ゆる神佛を信仰して何んでも國難を免れようといふので、伊勢とか石清水の八幡其他に御祈願遊ばされたのです。當時の記録によると、何か大變奇瑞があつて、その奇瑞のあつた時刻が丁度九州に大風が起つて蒙古の船が散々になつた時だつたといふやうな事がありましたが、此等の事が外部に對する文化上の獨立の考が出來るのに大變關係があつたものと思はれます。
 此の石清水八幡で尊勝陀羅尼法を修せらるゝ時、その最も主なる人は奈良の西大寺興正菩薩といふ方であつたやうでありますが、其時の啓白にも、蒙古は是れ犬の子孫、日本は即ち神の末葉(笑聲起る)、神と犬と何ぞ對揚に及ばん、縱ひ皇運末になり政道誠なく、神祇非禮をとがめ、佛天虚妄を惡みたまふとも、他國よりは我國、他人よりは吾人、爭でか捨てさせ給ふべきといふので、いやでも應でも助けて貰はんければならぬといふにあつたやうであります、さういふ祈願は非常に面白い思想だと思ひます。勿論これは蒙古に對する敵愾心からではありますが、こゝに面白い現象が起つてゐるのであります、といふのは今迄日本は支那を以て日本文化の師匠であると仰いで居つた所が、其師匠と仰いで居つた支那が、犬の子孫である所の蒙古のために亡ぼされてしまつて、其蒙古は更に日本にまで襲來し、さうして日本の前には國難が横つて居つたわけであるが、とにかく伊勢の大神宮や石清水八幡、三千餘座の神々に祈願して神の子孫が犬の子孫に勝つたわけであります。そんなわけで今迄貴いと思つて居つた支那も、犬の子孫に統一されるやうではさう大したこともないといふので、遂に支那といふものが日本人に取つてあまり有難くなくなつた、そして其支那を亡ぼした所の蒙古をも日本が神の力で退けたのですから、日本はよほど偉いのだといふので、其神の保護を受けるといふことはよほど偉い事に思はれただらうと思ひます。殊に後宇多天皇は日本は密教相應の國である、密教が盛んになれば日本も盛んになり、密教が衰へれば日本も衰へるといふことを御遺告の中にも書かれて居る位で、密教が國體に一致して出來上つた國であると考へられて居りました、今日の言葉で申せば、つまり最上の文化と最上の國家といふものは一致して居るものだといふ考を持つて居られたのです。それが果して當りまして今の通り神風の效驗があつたのでありますから、當時の人には非常にさういふ思想が強く響いたのであらうと思ひます。
 是が又他の事情といろ/\關係しまして、こゝに『日本は神國なり』といふ考を起させるに至つたのです。當時伊勢の方に一種の神道が出來て居りました、これは外宮の神主|度會《わたらひ》氏から新に出て來た所の神道でありますが、これが北畠親房の學問に影響してゐるのであります。親房は佛教にも深い人でありますが、神道においては新しく起つた所の度會家の神道を採用したのであつて、自分でも神道に關する著述をして居ります。だから神皇正統記の一番眞先の書き出しには、『大日本は神國なり』と書いて居ります。これが神皇正統記の第一句であります。さうして日本は神國だから尊いといふことを言つて居ります。あの天竺が天神の子孫から成立つて居るといふ事は日本と類似して居るが、後に道に變化があつて、勢力あれば下劣の種も國主となり、五天竺を統領するもあり、又支那も殊更亂りがはしい國で、始終天子の系統が變り、力を以て國を爭ひ、民間より出でゝ位に居たるもあり、戎狄より起つて國を奪へるもあり、累世の臣として君をしのぎ讓を得たるもある、日本だけは全く違つて萬世一系であるといふことを論じて、さういふ神の御末であるから今日の皇統も正統の天子でなければならぬといふことを結論にして、そこで南朝が正統であるといふことを明かにして居るのでありますが、親房には實にそれが信仰であつたらうと思ひます。此人の政治上の經綸は皆新しいことであるが、其信仰は非常に固い信仰であります。これは古い思想ではなく、當時我國に起つた所の新らしい思想だらうと思ひます。
 さういふわけで、此日本が世界中一番尊いのだといふ思想は當時において新思想と言つてよからうと思ひます。詰り前には支那を崇んで居つたが、支那は詰らない、印度も亦詰らない、日本くらゐ尊い國はないといふのが當時の新思想であつて、それが根本になつて其頃文化の獨立といふものが出來たのだと思ひます。親房の經綸が新しいと申しましても、根本から其當時の社會を打ちこはして低い者が上に立つて勢力を揮ふのを善いとしたのではありませぬ。即ち親房の議論といふのはよほど面白いもので、今日に應用してもいゝと思ふ點があります、例へば勳功があつたからと言つて勳功のために官位は進めらるべきものではない、勳功は勳功として別に賞すべきものである、昔の日本の制度には勳位が十二等あつて勳功のあるものに勳階をやる、官職は官職とし
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