る、醍醐、村上、一條、後三條でも皆宏才博覽で文學などもよく出來てゐられるが、後宇多天皇も亦非常に宏才博覽で入らせられたといふことを言つて居ります。この親房の正統記に書いてあることは、後宇多天皇の御遺告即ち今日あちらに陳列してある所の天皇御自身の御遺言の中に書かれてあることゝ非常によく一致して居ります。であれを拜見致しますと、後宇多天皇の御學問といふものは、單に天皇として知らせ給ふべきことを一と通り知らせ給ふばかりでなく、むしろそれには御滿足なさらないで、天子でおはせられながら、佛教の學問ならば高僧と同樣、普通の諸道の學問ならば諸道の學者同樣に、深く知らせ給ふべき御決心を以て研究せられたといふことが分ります、是はよほど注意すべきことだと思ひます。
さういふ風に非常に學問に御熱心な方で入らせられたのですが、斯ういふ風に天子が學問に御熱心であるといふことは、これは其時代の何かの方面に必ず影響を與へずにはおきませぬ。その影響をだんだんに考へて見ますると、一面においてはお子さんで入らせられる後醍醐天皇が、たとひ一時にもせよ兎に角日本の政治上の革新を立派になし遂げられたといふことに感化を及ぼして居るのであります。神皇正統記によると、後醍醐天皇の條に、後醍醐天皇も非常に宏才博覽でいらせられ、佛教の方の學問に就ては最初は父天皇たる後宇多天皇にお教を受け、さうして其上更に專門の高僧から許可まで受け給うたといふことが書いてあります。
其他にも影響は色々及んで居りますが、それはあとで申上げるとして、とにかくさういふ感化を各方面に與へてゐるのであります。それから一面には後宇多天皇のやうな御學問に御熱心なお方は、今言つた通り單に天子として學問せらるゝのみならず、殆ど御自分が學者同樣な覺悟で學問せられてゐるのでありますから、其學問の御造詣は自然に當時の普通の人々の考へるやうな程度に滿足せられずして、更に學問の根本に遡らうといふ意氣込があらせられたやうに考へられます。それで御遺告を見ましても、後宇多天皇は殊に密教に精通して居られた方ですが、其密教でも御自分におかれても弘法大師以來相傳の嚴重な方法によつて密教を研究され、又密教の正統を相續する僧侶には同樣に嚴重な規則に從はせるやう御遺言遊ばされたので、實に密教のピユリタニズムとも申し奉るべき固い掟を示されました。又御遺告のみならず、今日も陳列し
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