法親王が書に關する入木抄といふ著述をして當時の書風の批評をして居りますが、その批評を拜見すると、大覺寺統即ち南朝派の書風を幾らか攻撃する樣な態度でお書きになつて居ります。近頃宋朝風の書風が書かれるがそれは自分らの取らぬ所である、さうしてさういふものがだん/\皇室の御書風に入つて來て後醍醐天皇もこれをお書きになつてゐると、幾らか攻撃する意味で言つて居ります。これによつて見ても大覺寺統即ち後醍醐天皇の書風が當時新たに入つて來た所の宋風の書風であつたといふことが分ります。所が其尊圓法親王其人の書風がどうかといふと、此人がすでに從來の書風に甘んぜられない。つまり從來は日本の書風を統一して居つた家がありました、丁度吉澤博士のお話にもあつた通り二條家といふものが和歌の風を統一した如く、書道においても書風を統一して居つた家があつたのです、それは世尊寺といふ家でそれが書風を統一して居つたのであります。そこで伏見院も後伏見院も世尊寺風の書をお書きになつて居つたが、尊圓法親王のは別派で全く新しい書風を書かれた。勿論尊圓法親王は宋朝の書風を採られたのではないけれども、とにかく後宇多天皇の復古の學問におけると同樣に復古的書風といふものをやらうといふお考があつたといふことが分ります。尊圓法親王の書風は世尊寺の流派の元祖である行成卿の書風を飛び越えて道風の書風を目的として居つたやうであります。その尊圓法親王は南朝の書風を幾らか攻撃してゐるやうであるが、御自身がすでにその書風において一變化をして居ります。それで花園天皇の書風も宋朝の書風を加味して居つて、南朝の方の書風と類似して居ります。これは思想においても同樣であるが、書風においてもやはり同樣でありまして御兄弟でありながらすでにさういふ違ひが生じて居つたのであります。
斯ういふのが凡て當時の學問、藝術に關係して居る所の有ゆる革新の機運でありますが、これはよほど面白い事であつて、内部においてすでに昔から有り來つた傳統的のものに安んぜずして、何でも革命的にやらうといふ機運があつたといふことが分ります。その他最も著しい政治上に於いても同樣の事がありまして、あの北畠親房といふやうな人は其點において非常に偉い考を持つて居つたやうであります。神皇正統記も唯國史の教科書として位に讀んで居れば何でもありませんが、實はあれはあの人の政治に對する革新意見書であり
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