てしまつて、その以前の支那の事を知らぬといふと、日本文化の由來を全く知らぬことになる。今日歐羅巴では、その歴史を歐羅巴史とは申しませぬ、世界史と申して居りますが、苟くも歴史を讀む者が自分の國の歴史だけを讀んで、其前の古代の、例へば希臘とか羅馬とかいふ時代の文化史を全く知らぬで、それで歴史を讀んだと云へるか。詰り東洋史といふものを日本史以外のものだと思つて居るのは全く間違だと申したことでありましたが、即ち東洋文化と日本文化との關係はさういふ續き合になつて居るものだと私は思ひます。
 先づこれが日本文化といふものゝ大體の出來上つた所から、今日の價値を作り出した所までの由來でありますが、併しそれは過去の事であります。それでは將來はどうかといふと、これはむつかしい問題であります、將來に對しては豫言的な事になりますので、それが果して中るかどうか分りませぬが、併し大體この世界の各民族の歴史を見ますると、文化を立派に形作つて、さうしてそこで其民族は終を告げて、その國が滅亡して、その文化だけが後へ繼續する、例へば希臘とか羅馬とかいふ國はそれである。それから又新しく興る國は、前の國の文化を繼續して――前
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