獨立した土民の部落が出來、それが漸次に發達して後の高句麗國となつたので、其れは即ち王莽時代のことである。其れでも高句麗國は朝鮮民族中には最も早く國を成したので、當時三韓地方は未だ全く國を成さなかつた。三韓の諸國が初めて國を形成したのは、多分後漢の中頃からであらうと思はるゝので、其の時分漢では朝鮮全部を郡縣として、其の行政區域内に包括してゐたのであるが、後漢の中頃以後、統治力が弛んだが爲めに、茲に初めて三韓の七十餘國と云ふ多數の小部落が形づくられたのである。尤も其の以前、即ち漢が朝鮮を郡縣にしない前、既に支那の亡命者に依つて形づくられた朝鮮國があり、又更に其の以前にも箕子の朝鮮と稱するものがあつたと謂はれてゐるが、しかし、此箕子の傳説は前漢時代の支那歴史には甚だ不確實に記されてあるので、箕子以來の系統を延いた國が長く續いたと云ふ事實は、三國の時になつて初めて記録に現れた。縱し夫れが事實であつたとしても、其れは矢張り戰國の時、燕國の文化に刺激されて、始めて起つた傳説で、其以前から朝鮮民族が有つて居つた祖先傳説でないことは、支那内地の呉とか、燕とかの傳説と同種たるに過ぎない。やはり戰國時代に
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