云ふ事がある。忠孝と云ふ名目は勿論支那より輸入した語であるが、忠孝と云ふ事實は元來日本國民が十分に具へてゐて、自分が所有せるものに支那から輸入した名目を應用したものと云ふことに解釋しようと欲する傾がある。然しながら之を根本より考へて見ると、既に國民がもつて居つた徳行の事實があり、而して又他方に固有の國語がある以上、何か其の事實に相當した名目がなければならぬ筈である。茲に數を算へるにも日本人は今日では支那より輸入した文字なり、音なりで一、二、三、四と云ふ如き語を使用するが、しかし現に其の輸入語の外に固有の國語である一つ二つ三つ四つと云ふものを有つてゐる。尤も時としては、朝鮮に於て東西南北等の考を表現するに殆ど國語を失ひ、輸入語の變形したものだけを用ゐてゐるやうの例もあるが、それさへも言語學的に考究する時は、南北と云ふ言葉を表す爲めに、昔は前後と云ふ言葉と同一の語を有つてゐた時代があつて、近代までも地方語の中に其の遺つた形を發見せられるといふやうなことがある。然るに忠孝と云ふ語の如きは、日本民族が支那語を用ゐる以前に如何なる語で表してゐたかゞ殆ど發見しがたい。孝を人名としては、『よし』『た
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