民間に於ては、道理に外れた解釋を下さうとする。日本文化の起原に於ても、恰度其れと同一の謬想が存在する。國史家始め多くの日本人は、今日でも動もすれば日本文化なるものの、最初からの存在を肯定し、外國文化を選擇し同化しつゝ今日の發達を來したと解釋せんと欲する傾きがある。此の謬想は隨分古くからあつて、國民的自覺が生ずると同時に、日本人は已に此の謬想に囚はれてゐたと云つても宜い。維新以前の日本文化起原論とも云ふべきものは、最後に此の立論の方法で殆ど確定せられてゐた。日本が支那文化を採つて、其れに依つて、進歩發達を來したと云ふことは大體に於て異論はない。尤も徳川氏の中頃から出た國學者達は之にさへも反對して、凡ゆる外國から採用したものは、總て日本固有のものよりも劣つた者であり、其れを採用したが爲めに、我國固有の文化を不純にし、我國民性を害毒したと解釋したものもあつた。今日では、其の種類の議論は何人も一種の負け惜しみとして之を採用しないが、しかし、自國文化が基礎になつて、初めから外國文化に對する選擇の識見を具へてゐたと云ふことだけは、なるべく之を維持したいといふ考が中々旺盛である。
例へば茲に忠孝と
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