本文化に就て説くところは猶多數の人々の理解し難く、且つ時としては大なる反感をもつところのものであるかも知れない。たゞ然し、近來一般の思想傾向として善いことは、學者の自由討究に對して、以前よりはいくらか寛大になつた點である。其れで日本の多數の人々の智識には信用を置かぬ自分も、自由討究の一端として、鄙見を披瀝して見ようと思ふ。
何れの國にも、國民には所謂お國自慢があつて、其お國自慢の中にも、自國の文化が自發的であると云ふことが、餘程重きを爲してゐるのである。しかし、是は或る少數の古い國、埃及とか、支那とか、印度とかいふ者を除いては、理由なき謬想であつて、例へば、兒童が生れ落ちてから、漸次智慧が附いて來る年頃は、年長者から導かれ教へこまれることが、其の智識の基礎になることは明瞭なる事實であるが、其の兒童が成人した後、自己の智識の根本に就て自慢を有し、自己の智識は最初から他の智識を選擇するだけの識見を具へてゐて、年長先進者の智識を自己に同化し、以て今日の發達を來したと云ふことを主張したならば、何人も其の無稽なることを嘲笑せざるものはないであらう。個人間では、斯くの如き知れ切つた道理が、妙に國
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