神武以前幾十代かの事蹟が記してあるとて宣傳する者があり、又それを信ずる者もあつて、歴史を假裝したものと、眞の歴史との區別を判斷し得ない多數の人々があるやうである。東京に於ても何某の行者といふやうなものに、所謂上流社會に餘程の勢力を有するものもあり、古事記等を非學術的に解釋して官吏、軍人其他の信仰を集めたものもある。此等が現代日本の民衆の歴史なり、道徳なりに關する智識なりとすれば、明治の初年以來、五十年間、日本文化の基礎たる民衆の智識が進歩せるや否やを疑はざるを得ない。明治初年に大分縣の某といふ山師が神代文字で記した『上記《うえつふみ》』といふものを發見して、其れを飜譯したのだと稱して、時の有名なる新聞記者岸田吟香氏を欺き出版せしめたことがある。即ち神代を幾十代かに引延して、一々編年體の記事を捏造したものである。三浦博士の言はるゝ所では、今度の神代記録とかの上記とは殆ど全く同一のものであるといふことである。自國の歴史にさへ、其れだけ盲目なことが、五十年前と今日と殆ど同樣である證跡があるとすれば、我々が日本の進歩に疑問を抱くといふのも、必ずしも矯激の言と云ひ得ないであらう。故に自分が今、日
前へ
次へ
全14ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング