問の大系を成したのでありますが、其の大要を最も早く東洋に知らしたのが其の西學凡であつて、之に載つて居る所に依ると學問を六科に分けて居ります、之に依つて全體の學問を觀ることが出來るのであります。支那字で書いてありますが、一つは文科(勒鐸理加《レトリカ》)、それから理科(斐録所費亞《フイロソフイア》)、醫科(默弟濟納《メデチナ》)、法科(勒義斯《レイス》)、教科(加諾搦斯《カノネス》)、道科(※[#「こざとへん+走」、第4水準2−91−68]禄日亞《トロジア》)、斯う云ふものであります。先づ文科、理科の二つから這入つて、それが第一歩の基礎學問であつて、其の後それが濟むと醫科をやるか、法科をやるか、教科をやるか、道科をやるか其の四つの中の一つを專修するとしてあります、之が西學凡の大意であります。其の内主に理科の所に於てアリストテレスの學問を大體に於て論じて居るのでありますが、然し文科と云ふのもやはりアリストテレスから來た所のものであると思はれます。文科はどう云ふものをやるかと云ふと、古賢の名訓、各國の歴史、各種の詩文、それから自分で文章をかき又議論をする事、之が即ち文法學、修辭學、さう云ふも
前へ
次へ
全27ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング