に於きまして印度では、丁度やはり支那の劉向、劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の時代と同じ程度位の色々の學問が開けて來て、其の書籍も出來て來ました。印度では支那よりも本を用ひたのはむしろ餘程後でありまして、其の前には學問を口で傳へて居たのでありますが、丁度支那の秦漢以前の樣な状態を以つて傳へて來たのであります。ともかく佛教の興りました頃に五通りの分類の樣なものが學問の上に出來ました。印度で之を五明と申しますが、聲明、因明、醫方明、内明、工巧明、斯う云ふ五種類であります。之が其の分類の仕方がぴつたりと支那とうまく合ふ譯には行きませんが、大體に於てよく合ふのであります。支那では方技、之が醫方明に當ります。工巧明が數術に當るのであります。内明が印度で哲學の樣なもので、大體に於て諸子、六藝に當ると思ひます。聲明は聲の方の學問でありますが、この聲の方の學問と云ふのは、印度では聲を大變に神聖なものと考へたから、斯う云ふものが出來て居りまして、之に音學的な分子が含まれ、文法の樣なものも含まれて居るのであります。其の後因明と云ふものが出來ました、これが論理であります。大體に於て兵書の部分を除
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