數術、方技、斯う云ふ六種であります。六藝と申しますのは經書でありまして、其外を五種に分類して居りまして、それに又各々此の中が幾つかの細い部となりまして、それに依つて一々評論したのであります。支那人は兎に角當時之だけのものを持つて居た、今から殆ど二千年前に之だけのものを持つて居たので、之は支那人が今から二千年前に立派な文化を持つて居た一つの證據であります。
 印度人はどう云ふものであつたかと申しますと、最初今の佛教などの興る前に、四吠陀と云ふものがあつたと云ふことであります。今でも其本はあるのであります、其の本は多くは宗教的に出來て居ります。支那の劉向、劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]父子の時には宗教的ではなかつたのでありますが、印度の四吠陀は組織が全く宗教的に出來て居て、其の四つの内の半分通りは大體宗教に關したものでありますが、其の内の一つはやはり兵事、支那で云ふ兵書と同じ樣に兵事に關したものでありまして、其の他の一つが六藝と同じ樣な性質を帶ぶるものでありました。之は實は支那の前漢時代に比べまして、年代も古いし、それから記録もまだ十分に備つて居なかつた時でありまして、其の後
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