失つては不孝になるからとて此書を書いたことを述べて居ります。さういふ樣に其の當時朝に夕をはからざる危難の間に、文化階級の人として、さう云ふものをどうしても失つてはならないと云ふ考へで、皇室なり公家なり、諸職の人々が一所懸命になつて暗黒時代にも保存して、それだけは日本がどんなに亂れても失はなかつたものであります。さうして殘した所のこの文化は、初めはたとへ支那から來たものであつても、支那人でも日本人の樣に懸命になつて殘した歴史はないのでありますから、それに比べると日本人が其の文化を命懸けで殘した事は、之は自分の文化と云つても宜しいと思ひます。支那から借りて着た着物でも、支那人が丸裸になる時に、日本人は其の一枚だけは兎に角脱がなかつたと云ふことは、それは日本人の物と云つて差支へないのであります。
 さう云ふことで其の當時、日本人が保存し、或は新しく造つたものをだん/\調べて見ますと、其神道、歌道、物語の傳授とか書道の傳授と云ふものは、即ち我邦の哲學でもあり文學でもある、即ち文科理科、西洋でアリストテレス以來傳來して來た所のものと同性質の者を含んで居るのであります。それから暦法、陰陽と云ふ樣な
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