でもあり、一種の又文化の特質でもあります。之が日本人が自分で造り出した所の文化の素質です。
日本の國語の法を發見する事、日本人の性質としての特別な點を發見する事、國體の特別な點を發見する事、さう云ふ事は鎌倉時代から足利時代の暗黒時代にかけて發見した事であります。それはやはり何處の國民でも皆文化ある國民は有たなければならない所の條件であります。さうして其の外に支那から傳へられて來た文化で、どうしても失つてならないものは、皇室なり公家なりが文化の權威として、非常な難儀をしながらも傳へて居るのであります。一條兼良などは應仁の戰亂の爲に其の邸宅は何れ燒けると覺悟して、澤山の本を文庫にしまつて避難したのでありますが、果して兵火の爲に第宅は燒けて、文庫は殘りましたが、兵士等は庫に何か金帛などがあるだらうと思つて、庫から本を出して箱や何かを叩き壞して、火を付けて燒いたと云ふので、聲をあげて哭いたといふことであります、さういふことで書籍の保存なども出來なかつた事を悲んで居ります。又其の當時樂の家で笙の祕曲を傳へて居た豐原統秋の書いた體源抄には、戰亂の間に其父と叡山に避難して傳授を受けたが、將來其傳を
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