まり日本人の僞はらざる性質、正直な性質を發見したのであらうと思ひます。それが後になつてから、賀茂眞淵、本居宣長と云ふ人達が支那の學問に反對して一種の自分の國の特別な性質、日本人の本當の尊い性質と云ふものを鼓吹する樣になつたのも、さう云ふ事から流れを引いて居ると思ふのであります。然し世態の變遷もあり、今日では其の時分の思想を丸寫しにして、其の儘に應用も出來ない樣な點がありますが、兎に角從來の支那文化の外に、日本特有の文化の要素を有つてゐることをあらはしたのであります。それは丁度其の以前の南北朝時分に北畠親房の神皇正統記の中に、日本は神の國で支那よりも印度よりも、萬世一系の皇室を戴いて居ると云ふ事が大變尊いと云ふことを云つたのと問題は異ひますけれども、同じく日本の國情の中に特別な發見をした點があるのであります。斯う云ふことは、寧ろ日本が支那文化の衣を脱いで、自分が丸裸になつてから得た所のものでありまして、日本人は正直を尊び、ありのまゝなる姿を尊ぶことを特色とするやうになつたのでありますが、それが皆此の暗黒時代に他の國との關係を大部分失つた時分に出來て居ります。それがつまり日本人の一種の性質
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