した、それは伊勢の大神宮に即位後二十年大嘗會を行はせたまふことも出來ないと云ふことを謝せられた宣命であります。今の天皇陛下が皇太子であらせられた時に之を御覽になりました。それ程極端に困つて居られても、支那から傳來した文化の或るものを、どうしても手離されなかつたものがありますが、さう云ふものは例へば借着であつても、之れ一枚脱いだら凍えて死ぬからと云ふので手離さないものは、自分の作つたものと同樣に値打があると思ひます。さういふものがあります。それから又其の他に本當に寒くて叶はないからと云うて、自分で拵へて着る着物がある、それが自分の本當の着物であります。それらがつまり日本人が暗黒の時代でも離さなかつた并びに生み出した所の文化であります。
其の時にどうしてもさうなつて來ると、文化の中心になるのは帝室であります。帝室ではどう云ふものをどうしても離さずに持つて居られたかと云ふに、一つは歌道の傳授であります。古今集の傳授とか、伊勢物語とか云ふ樣なものゝ傳授で、それから同じく必要なものは書道の傳授、音樂の傳授、之は神樂などの如く日本で出來た音樂もありますが、支那から傳來したものもあります。兎も角も
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