斯う云ふものは、帝室が非常に困窮して居られる時でも御父子代々で御傳授になつて決して失はなかつたのであります。この歌道の傳授は應仁、文明の戰亂によつて、殆ど絶えんとしましたが、後土御門天皇はその祕説を傳へて居つた關東の武士、東常縁を京都に召されて、歌道を再興せしめられました、又書道の傳授、音樂の傳授などは皆帝室が基であります證據は、御文庫の中に澤山に殘つて居るのであります。さうして其傳授の至つて尊いことは、世の中に如何なる歌道なり書道なりに堪能な人がありましても、其の傳授の根本は皇室でなければ權威がなかつたので、傳授の中心は皇室にありました。一例を申しますと徳川時代に於きまして近衞家煕と云ふ人は書の名人で、東山、中御門御二代の天子に御手本を上げられました程でありますが、さう云ふ名人であつても、やはり其の傳授は皇室から受けて居る。さう致しますと云ふと、其の時の皇室は政治上の權力はないけれども、文化の上の權威だけは最後迄離さなかつたのであります。どんなに御衰頽の時でも、それだけは御父子で御相傳をなされ、それが門跡、公卿などに授けられ、始めて世の中に其の道の權威と云ふものが出來たのでありまして
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