す。それでありますから、此の中には日本人が丸裸になつてから發見した所の文化的要素のみを見はしては居りません。之は一面には支那文化の傳來と、それから日本の古代から傳つて來た所の宗教上の儀式とか、色々な種類のものを其の中に有つて居りますが、文化國民が有ち得べき要素を、裸になつてから見出したと云ふ其の證據は、此の目録に依つて見ることはできません。然し足利の亂世に於ても日本人がその古來相傳して來た所の文化をどれ程大事にして居つたかゞ判るのであります。さうして此の目録以後に新しく出來たものゝ中に文化的要素があれば、それが眞の日本人が素ツ裸になつてから發見した所の文化であります。それがあるかどうかと云ふことでありますが、それが今日から考へると貧弱なものでありますけれども、有ることはあるのであります。其の有ると云ふ點が、甚だ我々にとつて心強いのであります。
どう云ふ事かと申しますと、其の後、應仁、文明以後の亂世で、御承知の如く皇室は非常に衰微あそばされたのであります。數年前東山御文庫を整理される時に、私も取調員の一員を汚しましたが、御文庫に後奈良天皇の宸翰で、天文十四年八月二十八日の宣命案がありま
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